平倉城跡(読み)ひらくらじようあと

日本歴史地名大系 「平倉城跡」の解説

平倉城跡
ひらくらじようあと

[現在地名]小谷村大字中土 中谷 黒倉

ひめ川右岸に位置し、標高八三五メートルの平倉ひらくら山が、周囲いずれも急崖となって谷に落ち込む一見独立した山地にこの城跡がある。武田・上杉両氏の抗争の時、現白馬はくば村大字神城飯森の一夜山かみしろいいもりのいちやさん城に居城した飯森盛春は、武田氏の将山県昌景の攻撃に遭って敗走し、この平倉城に拠ったが、平倉城は兵糧や水に恵まれなかったため弘治三年(一五五七)七月五日、小谷衆のうち山岸豊後らの援軍も空しく落城し、盛春以下討死をしたとの伝承がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 軍勢 乱暴 下段

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む