平倉城跡
ひらくらじようあと
姫川右岸に位置し、標高八三五メートルの平倉山が、周囲いずれも急崖となって谷に落ち込む一見独立した山地にこの城跡がある。武田・上杉両氏の抗争の時、現白馬村大字神城飯森の一夜山城に居城した飯森盛春は、武田氏の将山県昌景の攻撃に遭って敗走し、この平倉城に拠ったが、平倉城は兵糧や水に恵まれなかったため弘治三年(一五五七)七月五日、小谷衆のうち山岸豊後らの援軍も空しく落城し、盛春以下討死をしたとの伝承がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 