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平尾誠二 ひらお せいじ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平尾誠二 ひらお-せいじ

1963- 昭和後期-平成時代のラグビー選手,指導者。
昭和38年1月21日生まれ。伏見工で全国高校大会優勝。同志社大で大学選手権3連覇。19歳4ヵ月の史上最年少で日本代表となる。昭和61年神戸製鋼に入社。俊足,するどいステップセンター,主将として,平成元年から日本選手権7連覇の原動力となる。平成9-12年日本代表監督。9年より神戸製鋼コベルコスティーラーズゼネラルマネージャー,19年より総監督兼任。27年日本ラグビーフットボール協会理事。京都府出身。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

知恵蔵miniの解説

平尾誠二

ラグビー日本代表の元選手、元監督。1963年1月21日生まれ、京都府出身。中学時代にラグビーを始め、京都の伏見工業高校で山口良治監督のもと、3年時の81年に高等学校ラグビーフットボール大会で初優勝。82年、同志社大に進学し、同年、当時史上最年少の19歳4カ月でラグビー日本代表に選出。同志社大学では史上初の大学選手権3連覇を達成した。86年に、神戸製鋼所に入社し、社会人時代は日本選手権で7連覇を達成した。ラグビーワールドカップには、第1回(87年)、第2回(91年)、第3回(95年)に出場し、91年時には日本代表キャプテンを務めた。日本代表キャップは35。現役時代は主にSO(スタンドオフ)としてゲームを組み立てる役割を担った。98年に現役引退し、引退後、99年には日本代表監督を務め、その後、神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督兼任ゼネラルマネージャーなどを務めた。2016年10月20日、京都市内の病院で死去。享年53。

(2016-10-25)

出典|(株)朝日新聞出版発行
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