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朝鮮映画 ちょうせんえいが

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朝鮮映画
ちょうせんえいが

朝鮮映画の歴史は、1919年につくられた連鎖劇『義理的仇闘』に始まる。初の長編劇映画は、尹白南(ユンベンナム)(1888―1956)の『月下の盟誓』(1923)である。当時の朝鮮映画は、日本の植民地支配という時勢のなかで、民族主義的、民族抵抗的色彩の強い作品を生み、1920年代後半には早くもその黄金時代を迎えた。その時期の中心人物が羅雲奎(ナウンギュ)(1902―1937)である。サイレント映画の代表作に、彼の『アリラン』(1926)、『風雲児』(1926)、『愛を探して』(1928)をはじめ、李圭煥(イギュファン)(1904―1982)の『主なき渡し舟』(1932)、安鍾和(アンジョンファ)(1902―1966)の『人生航路』(1937)などがある。しかし、トーキー以後の朝鮮映画は、日本の統治機関であった朝鮮総督府の映画統制のために、その自発的な発展の道を閉ざされた。
 解放直後には、崔寅奎(チェインギュ)(1911― )の『自由万歳』(1946)などがつくられた。解放後の朝鮮映画は、国の南北分断により、別途に発展する道をたどる。[前川道博]

北朝鮮の映画

北朝鮮では1950年に初の劇映画『わが故郷』(キムホンシク監督)が製作された。1950年代は、上映する映画の大部分を輸入映画に頼っていたが、1960年代に入り、旧ソ連から機材の技術的援助を受け、映画製作の基盤を固めた。
 北朝鮮の映画は、金日成(きんにっせい/キムイルソン)のチュチェ(主体)思想に基づいて製作されてきた。内容は、抗日闘争、祖国解放、革命伝統、労働者家庭などを扱ったものが多い。時代劇などの娯楽作もある。代表作に、ユンヨンギュの『パルチザンの娘』(1954)、初のカラー・ワイドスクリーンによる『栄えある我が祖国』(1960。ミンジョンシクほか共同監督)、パクハンの『分界線の村』(1961。映画界初の人民賞受賞)、チョンサンインの『赤い花』(1963。アジア・アフリカ諸国映画祭で受賞)、オビョンチョの『紡績工』(1963。人民賞受賞)、抗日武装闘争を描いた『遊撃隊の五人兄弟』(1968)、舞踊映画の『血の海』(1969)、農民問題を扱った『花咲く村』(1970)、日本植民地時代の悲劇を描いた『花を売る乙女』(1972。パクハク、チェイッキュ共同監督。カルロビ・バリ映画祭特別賞受賞)、抗日パルチザン闘争を描いた全10部の大作『朝鮮の星』(1980~ )、豪傑を描いた全5部の娯楽大作『林巨正(リムコッチョン)』(1987~1988。チャンヨンボク監督)、民話に基づく怪獣映画『伝説の大怪獣プルガサリ』(1985。チョンゴンゾ監督)、娯楽時代劇『怪傑 洪吉童(ホンギルトン)』(1986。キムギリン監督)、山間農村を描いた『トラジの花』(1987。チョギョンスン監督。第1回平壌(へいじょう/ピョンヤン)国際映画祭金賞受賞)、古典小説に基づく『ハランとチン将軍』(1991。チャンヨンボク監督)、全40部を超える長大なシリーズ作『民族と運命』(1992~ )、時代劇『報心録』(1994。チョンジョンバル監督)、浮島丸号の悲劇を描いた『生きた霊魂』(2000。キムチュンソン監督)などがある。
 1980年代以降は、金日成の後継者である金正日(きんしょうにち/キムジョンイル)による直接的指導で映画が製作されるようになったのが特徴的な傾向である。前述の『朝鮮の星』はその初期の代表作である。金正日には『映画芸術論』など映画に関する著作もある。
 北朝鮮では、劇映画以外の映画製作も盛んで、長編記録映画『共和国旗じるし万歳』(1964)をはじめとして記録映画に秀作が多い。また、1955年以降は科学技術普及映画、1960年代以降は児童向けのアニメーション映画や人形映画、教育映画などがつくられているのも大きな特色である。
 なお、東西冷戦が続いていた1978年に、韓国の著名な監督申相玉(シンサンオク)(1925―2006)と女優の崔銀姫(チェウニ)(1928― )が東側に失踪(しっそう)するという事件が起きた。二人は北朝鮮の援助を受け、映画活動を続けていたが、1986年に西側に再亡命した。この間、二人が製作した映画に、『帰らざる密使』(1984。カルロビ・バリ映画祭最優秀監督賞受賞)、『脱出記』(1984)、『春香歌』(1984)、『塩』(1985)などがある。[前川道博]
 21世紀に入ると、カンヌ国際映画祭で初の北朝鮮映画としてキム・ラエ監督の『ある女学生の日記』(2007)が上映された。[石坂健治]

韓国(大韓民国)の映画

韓国での映画製作は、1950年代後半からその全盛時代を迎え、製作本数も、1955年に15本であったのが、1960年に87本、1965年に161本と増え続けた。全般的傾向としては、メロドラマや時代劇が大衆映画として量産される一方、社会派映画や文芸映画に優れた作品が数多く現れた。この時期の代表作に、李康天(イガンチョン)(1920― )の『ピア谷』(1955)、金蘇東(キムソドン)(1911― )の『金銭』(1958)、金綺泳(キムギヨン)(1919―1998)の『下女』(1960)、『十代の反抗』(1963)、兪賢穆(ユヒョンモク)(1924― )の『誤発弾』(1961)、申相玉(シンサンオク)の『成春香』(1961)、『客間の客と母』(1961。アジア太平洋映画祭最優秀作品賞受賞)、李晩煕(イマンヒ)(1931―1976)の『帰らざる海兵』(1963)、『晩秋』(1966)などがある。
 1962年に映画法が施行され、映画製作に対するその後の統制強化は大きな質的低下を招いた。また1960年代後半から1970年代初頭にかけては、映画の粗製濫造に拍車がかかり、1970年には製作本数が史上最高の231本を数えた。この期間は、金洙容(キムスヨン)(1929― )の『霧』(1967)、崔夏園(チェハウォン)(1937― )の『瓶(かめ)を作る老人』(1969。インド映画祭作品大賞受賞)などを例外とすると、秀作は少ない。その後、映画産業は急速な衰退を余儀なくされる。
 しかし韓国映画は、1970年代なかばから、河吉鍾(ハギルチョン)(1941―1979)、李長鎬(イジャンホ)(1945― )といった若い有能な監督の活躍を契機として新たな局面を迎えた。1980年代以降は映画統制の緩和が、韓国映画復興のよい契機にもなった(映画法は1985年に全面改正された)。1970年代以降の代表作に、金鎬善(キムホソン)(1941― )の『英子(ヨンジャ)の全盛時代』(1975)、『冬の女』(1977)、李長鎬の『星たちの故郷』(1974)、『風吹く良き日』(1980)、『馬鹿(ばか)宣言』(1983)、『旅人(ナグネ)は休まない』(1987)、河吉鍾の『馬鹿たちの行進』(1975)、『丙泰(ピョンテ)と英子(ヨンジャ)』(1979)、林權澤(イムグォンテク)の『曼陀羅(まんだら)』(1981)、『霧の村』(1983)、『キルソドム』(1985)、『将軍の息子』(1990)、『風の丘を越えて 西便制(ソピョンジェ)』(1993)、李斗(イドゥヨン)(1942― )の『女人残酷史・糸車よ糸車よ』(1983。カンヌ国際映画祭「注目すべき作品賞」受賞)、『桑の葉』(1985)、昶浩(ペチャンホ)(1953― )の『赤道の花』(1983)、『鯨とり―コレサニャン―』(1984)、『ディープ・ブルー・ナイト』(1984。アジア太平洋映画祭最優秀作品賞受賞)、鄭鎮宇(チョンジヌ)(1938― )の『恣女木(チャニョモク)』(1984)、河明中(ハミョンジュン)(1947― )の『かんかん照り』(1984)、張善宇(チャンソヌ)(1952― )の『成功時代』(1988)、『競馬場へ行く道』(1991)、朴光洙(パククァンス)(1955― )の『チルスとマンス』(1988)、(ペヨンギュン)(1951― )の『達磨(だるま)はなぜ東へ行ったのか』(1989。ロカルノ映画祭グランプリ受賞)、朴鐘元(パクチョンウォン)(1958― )の『われらの歪(ゆが)んだ英雄』(1992)などがある。
 1990年代以降は、娯楽映画の大ヒット作が増えてきたことが特徴的である。林權澤の『将軍の息子』(1990)、康祐碩(カンウソク)(1960― )の『トゥー・カップス』(1994)はいずれもシリーズ化された。ほかには、鄭智泳(チョンジヨン)(1946― )の『南部軍』(1990)、『ホワイト・バッジ』(1992。東京国際映画祭グランプリ受賞)、張允(チャンユニョン)(1967― )の『接続』(1997)、『カル』(1999)、李廷国(イジョングク)(1957― )の『手紙』(1997)などがある。[前川道博]
 1990年代には、その後の韓国映画の興隆を準備する新しい動きがみられた。撮影所で助監督として修業してデビューする監督が減り、映画振興委員会が設立した韓国映画アカデミーや国立の韓国芸術綜合学校映像院をはじめとする映画学校で学んで監督となる者が増えた。また1996年に始まった釜山(プサン)国際映画祭を通じて、若い世代が世界の映画の最前線に触れるようになった。興行面では国産映画の上映日数を確保するスクリーンクォータ制の存在が大きかった。1998年に始まった金大中(キムデジュン)政権は「韓国文化の世界化」を掲げ、日本映画の上映を解禁するとともに、国産映画の振興を強力に推し進めた。
 1999年、姜帝圭(カンジェギュ)(1962― )の『シュリ』が観客動員数600万人を超える空前のヒットを飛ばし、その後も朴贊郁(パクチャヌク)(1963― )の『JSA』(2000)、クァクキョンテク(1966― )の『友へ チング』(2001)が800万人、康佑碩(カンウソク)の『シルミド SILMIDO』(2003)、姜帝圭(カンジェギュ)の『ブラザーフッド』(2004)が1000万人を超える観客動員を達成。「韓国映画ルネッサンス」とよばれる隆盛期を迎えた。興行記録は奉俊昊(ポンジュノ)の『グエムル 漢江の怪物』(2006)の1300万人でピークに達し、この記録はいまだに破られていない。
 現在の韓国映画は、国内興行をリードするヒット作と、国際映画祭で評価されるアートフィルムのいずれにおいても高い水準を維持し、年間200本以上が製作される国産映画の市場占有率はコンスタントに50%以上をキープしている。映画作家としては、ベネチア国際映画祭グランプリを受賞した『嘆きのピエタ』(2012)の金基徳(キムギドク)、『アバンチュールはパリで』(2008)、『3人のアンヌ』(2012)などがヨーロッパで高い評価を得る洪尚秀(ホンサンス)(1960― )、小説家から映画監督に転身し、文化観光部長官も務めた『オアシス』(2002。ベネチア国際映画祭監督賞)の李滄東(イチャンドン)(1954― )らが異彩を放ち、さらに若い世代の『チェイサー』(2008)、『哀しき獣』(2010)の羅宏鎮(ナホンジン)(1974― )、『息もできない』(2009)の陽益俊(ヤンイクチュン)(1975― )らが続いている。[石坂健治]
『四方田犬彦著『われらが〈他者〉なる韓国』(1987・Parco出版) ▽李英一・佐藤忠男著『韓国映画入門』(1990・凱風社) ▽四方田犬彦著『電影風雲』(1993・白水社) ▽佐藤忠男編『アジア映画小事典』(1995・三一書房) ▽中野理恵編『21世紀をめざすコリアンフィルム』(1999・現代書館) ▽佐藤忠男著『韓国映画の精神――林権澤監督とその時代』(2000・岩波書店) ▽田代親世著『韓国エンターテイメント三昧 1・2』(2000~2001・芳賀書店) ▽『ユリイカ 特集「韓国映画」の新時代』(2001・青土社) ▽扈賢賛著『わがシネマの旅――韓国映画をふりかえる』(2001・凱風社) ▽四方田犬彦著『ソウルの風景――記憶と変貌』(2001・岩波書店) ▽四方田犬彦著『大好きな韓国』(2003・ポプラ社) ▽チョン・ソンイル著『キム・ギドクの世界――野生もしくは贖罪の山羊』(2005・白夜書房) ▽川村湊著『アリラン坂のシネマ通り』(2005・集英社) ▽寺脇研著『韓国映画ベスト100――「JSA」から「グエムル」まで』(2007・朝日新聞社) ▽『ユリイカ 特集ペ・ドゥナ』(2009・青土社) ▽『ユリイカ 特集ポン・ジュノ』(2010・青土社) ▽キム・ミヒョン責任編集『韓国映画史――開化期から開花期まで』(2010・キネマ旬報社) ▽『韓国映画 この容赦なき人生――骨太コリアンムービー熱狂読本』(2011・鉄人社) ▽キム・ドンホ著『世界のレッドカーペット――「釜山国際映画祭の父」が見た40の映画祭』(2011・ワニブックス) ▽四方田犬彦著『アジア全方位 papers 1990―2013』(2013・晶文社) ▽安鐘和著『韓国映画を作った男たち――一九〇五―四五年』(2013・青弓社) ▽李英載著『帝国日本と朝鮮映画――植民地メランコリアと協力』(2013・三元社)』

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