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松浦鎮信 まつら しげのぶ

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美術人名辞典の解説

松浦鎮信

江戸前期の肥前平戸藩主。茶人。幼名は重信、通称は源三郎、号は天祥庵・徳祐・円恵など。島原の乱や平戸貿易の停止など襲封当初から難問に直面したが、藩政機構の整備、藩財政の強化に努めた。また、茶を片桐石州に学び、のちに鎮信流といわれる流派の基をひらいた。元禄16年(1703)歿、82才。

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デジタル大辞泉の解説

まつうら‐しげのぶ【松浦鎮信】

まつらしげのぶ

まつら‐しげのぶ【松浦鎮信】

[1549~1614]江戸初期の武将。肥前平戸藩主。豊臣秀吉九州征伐および文禄の役慶長の役に従い、関ヶ原の戦いでは東軍に参加。また、オランダ船の平戸誘致に成功し、平戸貿易はその最盛期を迎えた。

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百科事典マイペディアの解説

松浦鎮信【まつらしげのぶ】

江戸初期の大名,肥前(ひぜん)平戸藩主。隆信の子。関ヶ原の戦で東軍に加わり,本領を維持。リーフデ号で漂着したオランダ人の帰国の船を用意し,1609年平戸にオランダ商館を誘致した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松浦鎮信 まつうら-しげのぶ

⇒まつら-しげのぶ

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朝日日本歴史人物事典の解説

松浦鎮信

没年:慶長19.5.26(1614.7.3)
生年:天文18(1549)
戦国から江戸時代初期にかけての武将,平戸藩(長崎県)藩主。源三郎,肥前守,式部卿法印。隆信の子。天正15(1587)年,豊臣秀吉から旧領を安堵された。文禄1(1592)年,兵3000人を率いて朝鮮に出兵。講和期間中も朝鮮にとどまり,慶長3(1598)年に帰国。関ケ原の戦では東軍につき,徳川家康から,肥前国松浦郡(佐賀県,長崎県)・彼杵郡(長崎県)と壱岐国(長崎県)あわせて6万3200石を安堵された。のち子の久信に藩主の地位を譲ったが,同7年に久信が没したため,孫の隆信(宗陽)を3代藩主とし,これを後見した。また鎮信は,オランダ船を平戸に入港させ,平戸貿易の基礎をつくった。

(佐伯弘次)

松浦鎮信

没年:元禄16.10.6(1703.11.14)
生年:元和8.3.13(1622.4.23)
江戸前期の大名,肥前国平戸藩(長崎県)藩主。通称源三郎。肥前守。従五位下松浦隆信の長男,母は牧野右馬允康成の娘。江戸生まれ。寛永14(1637)年16歳で遺領を継ぐ。同年島原の乱への出兵,同18年平戸オランダ商館の長崎移転による平戸貿易の解消など,襲封当初から難問に直面したが,藩政機構の整備,藩財政の強化に努めた。山鹿素行に兵学を,石州流の祖片桐石州に茶道を学び鎮信派の祖となった。和漢の学に通じたが,13世紀の中国の政治家,文天祥 を敬い天祥庵と号したところに,仁政を理想とした鎮信の本領が偲ばれる。天祥寺(東京都墨田区吾妻橋)に葬る。<参考文献>『長崎県史』藩政編

(福田千鶴)

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世界大百科事典 第2版の解説

まつらしげのぶ【松浦鎮信】

1549‐1614(天文18‐慶長19)
江戸初期の大名,平戸藩主。隆信の子。関ヶ原の戦には東軍に加わり,本領を維持する。父の跡をうけて,外国貿易により領内を豊かにしようとつとめ,リーフデ号で漂着したオランダ人の帰国の船を用意し,1609年平戸にオランダ商館の誘致に成功した。13年,イギリス人も平戸に商館をおき,鎮信(法印)の時代に,平戸は外国貿易の中心地として繁栄する基礎が築かれた。なお,彼の曾孫(1622‐1703)も鎮信(天祥)といい,石州流鎮信派を開いた茶人として知られる。

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大辞林 第三版の解説

まつうらしげのぶ【松浦鎮信】

まつらしげのぶ【松浦鎮信】

1549~1614) 江戸初期の大名、平戸藩主。関ヶ原の戦いでは東軍に加わり本領安堵あんど。オランダ商館を平戸に誘致し、外国貿易で繁栄する基礎を築いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松浦鎮信
まつらしげのぶ

[生]天文18(1549).平戸
[没]慶長19(1614).5.16. 平戸
安土桃山時代の大名。道可隆信の子。天正 17 (1589) 年剃髪して宗静と号した。豊臣秀吉に従い,子久信とともに文禄・慶長の役に出陣,のち関ヶ原の戦いには東軍に加わり本領を維持。初代平戸藩主となる。

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松浦鎮信
まつらしげのぶ

[生]元和8(1622).江戸
[没]元禄16(1703).10.6. 平戸
第4代肥前平戸藩主。第3代藩主隆信の子。初代藩主鎮信の曾孫。初名は源三郎重信。寛永 14 (1637) 年襲封。島原の乱が起ると,長崎警備にあたった。同 18年平戸の商館が閉鎖されると,領内のキリシタン弾圧を行なった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松浦鎮信
まつらしげのぶ
(1549―1614)

安土(あづち)桃山~江戸初期の武将。隆信(たかのぶ)の子。肥前(ひぜん)(長崎県)平戸(ひらど)藩主。1587年(天正15)豊臣(とよとみ)秀吉の九州出兵に父隆信とともに従い、文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役には小西行長(こにしゆきなが)に属して功をあげた。平戸(ひらど)松浦氏はこの役を契機として家臣団を強化・統制し、近世大名へと成長。関ヶ原の戦いでは石田三成(みつなり)らの催促に応ぜず東軍に属し、これにより本領を安堵(あんど)され、松浦・東彼杵(そのぎ)両郡、壱岐(いき)などをあわせ6万3000石余を領した。1609年(慶長14)蘭(らん)船の平戸誘致に成功、英・蘭が相次いで同地に商館を建て、平戸貿易の最盛期を迎えた。1589年剃髪(ていはつ)して宗信(宗静)と称し、法印に進み式部卿(きょう)に列した。[上田純一]

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世界大百科事典内の松浦鎮信の言及

【松浦鎮信】より

…江戸初期の大名,平戸藩主。隆信の子。関ヶ原の戦には東軍に加わり,本領を維持する。父の跡をうけて,外国貿易により領内を豊かにしようとつとめ,リーフデ号で漂着したオランダ人の帰国の船を用意し,1609年平戸にオランダ商館の誘致に成功した。13年,イギリス人も平戸に商館をおき,鎮信(法印)の時代に,平戸は外国貿易の中心地として繁栄する基礎が築かれた。なお,彼の曾孫(1622‐1703)も鎮信(天祥)といい,石州流鎮信派を開いた茶人として知られる。…

【平戸[市]】より

…65年(永禄8)ポルトガル船を入港させようとした平戸の船に死傷者二百数十人が出た事件が起こり,その後ポルトガル船の平戸来航はやんだ。 84年(天正12)スペイン船が平戸に漂着したのを機会に,松浦鎮信はスペインの宣教師に手紙を送り,貿易船の来航を求めたが実現しなかった。しかし豊後に漂着したオランダ人が1605年帰国の際,鎮信は船を建造して与えたため,オランダ船はこれに感謝して09年平戸に来航し,ここに商館を開いた。…

【平戸藩】より

…肥前国(長崎県)北松浦郡平戸に藩庁を置いた外様中藩。藩主は松浦氏。6万1700石。松浦党に系譜をひく平戸松浦氏は,党の単位細胞である平戸党の結束を通じて在地領主として発展し,隆信(道可)の時代には,北松浦郡と壱岐国を領有する戦国大名に発展した。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は6万3200石であったが,1664年(寛文4)4代藩主鎮信(しげのぶ)(天祥)のとき,従弟信貞に今福1500石を分知した。…

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