平林荘跡(読み)へいりんそうあと

日本歴史地名大系 「平林荘跡」の解説

平林荘跡
へいりんそうあと

[現在地名]大垣市長松町

長松ながまつ城跡の東隣に位置する幕末の本草家飯沼慾斎の別荘跡で、県指定史跡。慾斎は伊勢国亀山の生れで名を長順、字を龍夫という。寛政一〇年(一七九八)一六歳のとき、本草学の大成者小野蘭山の門に入る。のち西洋医学を学び、大垣の飯沼長顕の養子となって名を龍夫と改め、養父とともに医業に従事。天保三年(一八三二)五〇歳で家督を義弟に譲り、慾斎と号して隠居し、平林荘を設けた。邸内に庭園式植物園を営み、舶来種をはじめ草木数百種を植えて、以後西洋植物学の研究に没頭

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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