朝日日本歴史人物事典 「平業房」の解説
平業房
生年:生年不詳
平安末期の後白河院の北面の武士。斎院次官平盛房の子。後白河法皇の寵妃高階栄子(丹後局)の前夫。ふたりの間には業兼,教成ら数子がある。治承1(1177)年に鹿ケ谷の変で平清盛に捕らえられたが,法皇の再三の請いによってひとりだけ放免され,同3年に正五位下左衛門佐となる。その出世は妻の存在によるところが大きいが,自身も今様を学び,下北面から身を起こして院に近習し,「御寵人」とまでいわれた。同年11月の清盛のクーデタで解官され,伊豆へ配流されるが途中で逃れ,再び捕らえられて殺された。<参考文献>米谷豊之祐「後白河院北面下臈」(『大阪城南女子短大研究紀要』11号)
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報