朝日日本歴史人物事典 「平盛綱」の解説
平盛綱
鎌倉前・中期の武士,北条氏御内人。長崎氏の祖。平三郎左衛門尉ともいう。承久3(1221)年の承久の乱では,北条泰時が18騎を従え出立したうちのひとりとなる。泰時・時頼に仕え,諸行事の奉行としてまた騒擾事件に活動。元仁1(1224)年の伊賀氏の変の鎮圧に活躍。同年の泰時家の政所吉書始めを尾藤景綱と共に奉行。寛喜3(1231)年名越で騒動が起きた際に,泰時が弟朝時を助けようと評定中にもかかわらず駆け付けたのを諫めたという。文暦1(1234)年には景綱に代わり泰時家の家令となり,御内人の頂点に立つ。この間,侍所所司にも補任される。法名盛阿。
(佐々木文昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報