承久(読み)じょうきゅう

精選版 日本国語大辞典 「承久」の意味・読み・例文・類語

じょうきゅう ジョウキウ【承久】

(「しょうきゅう」とも) 鎌倉時代順徳・仲恭・後堀河天皇の代の年号(承久三年四月より仲恭天皇、同七月より後堀河天皇の代)。建保七年(一二一九)四月一二日、天変旱魃などにより改元。後鳥羽上皇院政、将軍空位、執権北条義時の時代。承久四年(一二二二)四月、貞応(じょうおう)と改元された。出典は「詩緯」の「周起自后稷、歴世相承久」による。

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デジタル大辞泉 「承久」の意味・読み・例文・類語

じょうきゅう〔ジヨウキウ〕【承久】

鎌倉初期、順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇の時の年号。1219年4月12日~1222年4月13日。

しょうきゅう〔シヨウキウ〕【承久】

じょうきゅう(承久)

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日本の元号がわかる事典 「承久」の解説

じょうきゅう【承久】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1219年から1222年まで、順徳(じゅんとく)天皇、仲恭(ちゅうきょう)天皇、後堀川(ごほりかわ)天皇の代の元号。前元号は建保(けんぽう)。次元号は貞応(じょうおう)。1219年(建保7)4月12日改元。旱魃(かんばつ)などの天災の凶事を断ち切るために行われた(災異改元)。また、同年は陰陽道の「三合厄歳」(三合の厄)にあたるため、これも改元の理由とされた。『詩緯(しい)』を出典とする命名。承久年間、鎌倉幕府の執権は、北条義時(よしとき)(2代)。1219年(承久1)正月、第3代将軍の源実朝(さねとも)が鶴岡八幡宮で甥の公暁(くぎょう)によって暗殺される事件が起こり、これにより源氏の嫡流が断絶した。幕府は朝廷親王を新将軍として鎌倉に下向させるよう要請したが、後鳥羽(ごとば)上皇が拒否したため、将軍の空位が続くことになった。1221年(承久3)4月、順徳天皇が皇子の仲恭天皇に譲位。同年5月14日、後鳥羽上皇が討幕の兵を挙げ承久の乱が始まったが、幕府の圧倒的な軍事力に敗れ去った。同年7月、後鳥羽は隠岐へ配流。土御門・順徳の両上皇も流された。鎌倉幕府は後鳥羽の皇統を嫌って仲恭天皇を廃し、後堀川天皇を即位させた。

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