幾久村(読み)いくひさむら

日本歴史地名大系 「幾久村」の解説

幾久村
いくひさむら

[現在地名]福井市幾久町・大宮おおみや一丁目

福井城下の北に接続し、北陸街道に沿う。東は大願寺だいがんじ町屋まちや、北は高木たかぎ、西は経田きようでんの諸村に接する。もと久末ひさすえ村と称し、中世当村にあった照厳しようごん(現坂井郡金津町)について、証如の「天文日記」天文六年(一五三七)一二月七日条に「久末称厳寺」とみえる。

慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「阿布布東之郷」の地に含まれる。正保郷帳にも久末村とあり、田方六七七石余・畠方一七三石余。福井藩領。寛文九年(一六六九)二月の村極証文(小沢家文書)以降、幾久村とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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