広慶太郎(読み)ヒロ ケイタロウ

20世紀日本人名事典 「広慶太郎」の解説

広 慶太郎
ヒロ ケイタロウ

昭和期の実業家 元・久保田鉄工(現・クボタ)社長。



生年
明治41(1908)年12月7日

没年
平成10(1998)年10月8日

出生地
兵庫県西宮市

別名
号=静山

学歴〔年〕
立命館大学法経学部〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和47年〕,タイ国勲一等王冠章〔昭和60年〕,勲二等旭日重光章〔昭和60年〕

経歴
母校・大倉商業の会計学教師を経て、昭和18年久保田鉄工(現・クボタ)に入社。26年取締役、46年6月から11年間社長を務めたのち、57年6月会長に就任。社長時代には輸出拡大など海外戦略に力を入れ、海外二市場への株式上場も果たした。60年6月取締役相談役、63年相談役。この間54〜56年関西経済同友会代表幹事、48〜56年大阪商工会議所地域開発委員長として関西空港計画の推進に努めるなど、関西経済の発展に貢献。陽明学者の故安岡正篤に師事東洋思想に通じた異色の経済人として知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「広慶太郎」の解説

広慶太郎 ひろ-けいたろう

1908-1998 昭和時代後期の経営者
明治41年12月7日生まれ。会計学の教師をへて,昭和18年久保田鉄工所(現クボタ)に入社。46年社長,57年会長となり,経営の多角化と海外戦略をすすめる。関西経済同友会代表幹事,大阪工業会会長をつとめ,関西空港計画の推進など関西経済の発展に尽力した。平成10年10月8日死去。89歳。兵庫県出身。立命館大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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