改訂新版 世界大百科事典 「広瀬祭」の意味・わかりやすい解説
広瀬祭 (ひろせまつり)
もと広瀬大忌祭(ひろせおおいみのまつり)と称され,奈良・平安時代には神祇官所祭の四時祭として毎年4月と7月の4日に竜田風神祭と同時に執行されたが,現在は4月4日だけに広瀬神社の例大祭として行われる。広瀬神社は,奈良盆地一帯を潤す大和水系の合流地帯で地名を〈河合(かわい)(河曲)〉という低湿地に鎮座し(現,北葛城郡河合町河合)古来治水神であるとともに食物女神をまつる。社伝によれば,崇神天皇5年に大御膳津神として創祀され,五穀を守護し,天照大神および天皇の御膳をつかさどるにあたり物忌(ものいみ)を厳重にするので大忌神と称され,祭りを広瀬大忌祭と称された。《令義解》に〈山谷ノ水ヲ変ジ甘水ト成シ苗稼ヲ潤ヒ浸シ其ノ全稔ヲ得令ム故ニ此祭有ル也〉とある。平安末に中絶した大忌祭には,奈良盆地一帯の御県(みあがた)神6座,山口神14座を合祭し,御田植水口神事と水府舞(みくらのまい)(祈雨の神楽舞)が執行されたが,現在では2月12日の御田植祭(通称,砂かけ祭)にそのなごりがある。
執筆者:薗田 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報