記紀神話に登場する太陽神的性格の女神。天照大御神(あまてらすおおみかみ),大日孁貴(おおひるめのむち),天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)などとも呼ばれる。皇室祖神として伊勢神宮にまつられている。記紀では,その誕生譚,素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約(うけい)生み,天(あま)の岩屋戸,国譲り神話などの諸神話に登場する。
《古事記》によればこの神は,伊邪那岐命(いざなきのみこと)(伊弉諾尊)がみそぎで左目を洗った際に成りいでたという。同時に右目からは月読命(つくよみのみこと)が生まれた。《日本書紀》には,〈光華(ひかり)明彩にして六合(くに)の内に照り徹れる〉とあり,日神(ひのかみ)とも呼ばれている。誕生譚では,日月がいわば天の目にたとえられているわけである。アマテラスは,天界高天原(たかまがはら)の統治を命じられ天に昇るが,弟神スサノオの乱暴を怒って天の岩屋戸にこもると世は暗闇となり,出てくると光があふれた。この話には宮廷儀礼鎮魂祭の投射がある。この祭りは冬至のころの太陽と天子の魂の賦活を重ねて行おうとしたものである。これらからすれば,アマテラスはあきらかに太陽神的であるが,たんなる自然神ではない。これを皇祖神に仕立て上げることが記紀神話にとって,もっとも肝心な点であった。
天の岩屋戸ごもりに先立って,アマテラスとスサノオは互いの玉と剣を交換し呪的なやり方で誓約生みを行う。このときアマテラスの御統(みすまる)の玉から生まれた天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)の子瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上界葦原中国(あしはらのなかつくに)の統治者になったとされる。天孫降臨神話とその前段階にあたる国譲り神話が記紀神話のやまと言ってよい。国譲りの話は,わが子が葦原中国を統治すべしとの神言をアマテラスが下すところから始まる。次いで地上界の頭目大国主神(おおくにぬしのかみ)に国譲りを約束させ天孫を天降(あまくだ)すまで,あれこれと采配をふるうのもアマテラスである。こうした由縁をもって葦原中国はニニギさらにその子孫によって統治されることになったとしている。天武・持統朝までの天皇や皇子が,記紀歌謡や《万葉集》でしばしば〈高照らす日の御子〉とうたわれるのはそのゆえである。このように展開する記紀神話は,古代国家成立の時点でまとめられた皇室の縁起譚である。天空高く輝く超絶的な太陽を明確に神格化し,祖神として独占すること,それと結びつけて天皇家の始祖の地上界統治の由縁を語ることによって,支配者的地位の神聖性・絶対性の証としようとしたのである。一般に,太陽崇拝は農耕社会に古くからある普遍的な信仰だと考えられがちだが,それはあたらない。たとえば現代なお農耕儀礼が重要な意味をもつ沖縄で,崇拝の対象となるのはもっぱら水の神,山の神である。太陽神は支配者の聖性を誇示するために王と重ね合わされ,独占的に崇拝されていた。太陽の明確な神格化は強力な政治権力の成立と不可分であったらしい。
アマテラスの伊勢遷座の由来は《日本書紀》に語られている。神と人との同殿共床をはばかって宮廷内にまつられていたアマテラスをいったんは倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)にうつしたが,よりよき宮処(みやどころ)を求め,皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が御魂代(みたましろ)(神霊の代りをするもの)となって遍歴した末,大和の東方伊勢度会(わたらい)の地に鎮座させたという。伊勢神宮の成立は,諸豪族中の一氏にすぎなかった天皇家の祖神が国家的最高祖神に転化することを意味した。天皇家と諸氏族の支配服従関係は擬制血縁関係をもって表現されていたからである。伊勢神宮には三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)がまつられている。この鏡は,ニニギ降臨の際,アマテラスが太陽神にふさわしくみずからの御魂代として授けたものである。ヤマトヒメによる伊勢遷座にはふれていない《古事記》では,鏡にかんする話がかたがた神宮起源譚にもなっているらしい。
ところで,この神には前史がある。広大無辺な,政治性をおびたアマテラスという名の神格がいきなり成立したわけではない。この神は《日本書紀》《万葉集》などで〈ヒルメ〉とも呼ばれている。日の妻(め),すなわち日神に仕える巫女の意である。巫女は仕える男神に依(よ)り憑(つ)かれ,その子を生む母神として神話化される。そこでヒルメは日の神に感精して神の子の母となり,その子が支配者の地位を確立するにつれ,母自身が日の神に昇格してアマテラスとなったと説かれてきた。さらにヒルメが仕えたのは高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)だという説もある。この神は国譲り神話や天孫降臨神話でアマテラスと並んで采配をふるう男神だが,《日本書紀》ではこのほうが主役になっているおもむきもあり,皇祖とすら書かれている。しかしあきらかに父系観念が強化されつつあった記紀編纂当時,タカミムスヒであれなんであれ,父神を退けて母神が国家的祖神の座につくためには,よほど強力な契機が必要であったろう。その点の説明がないので,上の説は説得力十分とはいえない。このような点からみて《日本書紀》におけるタカミムスヒは,それを貫く律令制的精神にもとづいて新たに前面に押し出されたものではないかと思われる。
アマテラスはしだいに中性化していくとはいえ女神の面影も残している。ヒルメからアマテラスへの転化の過程あるいは古代日本の王権神話で女神が国家的至上神になりえた理由は,問題点として残っている。
執筆者:倉塚 曄子
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伊勢(いせ)神宮(内宮(ないくう))の祭神。神体は八咫鏡(やたのかがみ)。皇祖神である。天空を照らす偉大なる神という意から、太陽神ともされている。この神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が筑紫(つくし)のアワギ原で禊祓(みそぎはらい)をしたとき、その左目から生まれた。伊弉諾・伊弉冉(いざなみ)二神の子という。その後素戔嗚尊(すさのおのみこと)と誓約(うけい)をし、勝った素戔嗚尊が、神衣を織っている神聖な機屋(はたや)の棟から逆剥(さかは)ぎにした馬を投げ入れるなどの暴行をしたために、恐れて天岩戸(あめのいわと)にこもってしまった。国中が暗闇(くらやみ)になったが、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の踊りにより出てくる。その後、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に地上の国を統治するようにとの命令を下し、自分の魂のかわりとして鏡を授け、高天原(たかまがはら)から降ろした(『古事記』)。この鏡は天皇とともにあったが、崇神(すじん)天皇の代に畏(おそ)れ多いというので分離し、笠縫邑(かさぬいのむら)に移し、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)をして祀(まつ)らせた。さらに、垂仁(すいにん)天皇の代になって倭姫命(やまとひめのみこと)に交代したが、この姫は大神の鎮まる所を求めて莵田(うだ)、近江(おうみ)、美濃(みの)を回り、伊勢に至ったところ、大神がこの地をいたく気に入ったので、五十鈴(いすず)川の上流に神殿を建てた。これが伊勢神宮である(『日本書紀』)。天照大神は太陽神であるが、そこには自然としての太陽、太陽神を祀る巫女(みこ)、皇祖神、の三つの像がみられる。月読命(つきよみのみこと)とともに伊弉諾尊の左右の目から生まれたとするところには、自然としての太陽の像がみられ、神衣を織っていたとか、別名を大日孁貴(おおひるめのむち)(『日本書紀』)といわれているところには太陽神に仕える巫女の姿があり、瓊瓊杵尊に降臨を命じ鏡を授けている話には、皇祖神としての性格が色濃く現れている。それにしても、皇祖神ならば大和(やまと)にあればよいのに、なぜ伊勢に移したのか。実は、天照大神の原像は伊勢地方の海部(あまべ)が祀る太陽神であって、この地方神としての太陽神を皇室が取り込み、そこから巨大神に成長して神々の頂点にたつようになったのが天照大神ともいわれる。それを説明したのが伊勢移動の物語である。なお天照大神は女性神だが、男性神という説もある。
[守屋俊彦]
「古事記」では天照大御神。記紀の神話における代表的神。天照は天に照りたまう意で,オオミとともに称辞であり,神名には実体をさす語を含まない。「日本書紀」ではイザナキ・イザナミが,大八洲(おおやしま)国と山川草木生成ののちに「天下の主」を生もうとして月神(ツクヨミ)・ヒルコ・スサノオとともに生んだ。そこでは日神と記され,天上のことを授けられたとする。また大日孁貴(おおひるめのむち)と号し,一書に天照大神・天照大日孁尊などといったとも記される。孁は巫女の意,貴は称辞で,大日孁貴は日に仕える巫女を意味する。スサノオと誓約(うけい)を行い,のち天の石窟(あまのいわや)に籠もり常闇(とこやみ)をもたらした。一方,「古事記」では,イザナキの禊(みそぎ)の際に左目から生まれ,高天原の主宰神かつ葦原中国(あしはらのなかつくに)も貫く至高神と位置づけられている。それは天の石窟籠もりの際,葦原中国までも混乱と無秩序に陥ったことから明らかである。
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…日本神話にみえる神話上の場所。天照大神(あまてらすおおかみ)が高天原(たかまがはら)での素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱行にたまりかね天の岩屋戸にこもると世は常闇(とこやみ)となった。神々は集まって評議し,中臣(なかとみ)氏の祖天児屋命(あめのこやねのみこと),忌部(いんべ)氏の祖太玉命(ふとたまのみこと)などに祭りを行わせた。…
…神事の際,頭に挿す枝葉や花を〈うず〉といい,ウズメとはこれを挿した女,巫女の意であろう。この神は,天(あま)の岩屋戸の神話で,伏せた槽(おけ)の上でそれを踏み鳴らしつつ性器もあらわに神憑(かみがか)りして舞い狂い,天照大神(あまてらすおおかみ)を岩屋戸から引き出すことに成功した。この狂態はシャーマンのものであった。…
…アメノミナカヌシノカミはこの天皇大帝の観念の借用であり翻訳であった。この神は《古事記》神話のなかで,民間の太陽信仰を統括かつ祖神化した皇室の天照大神(あまてらすおおかみ)によって,尊厳を具体化され,神話の根幹は,天御中主神→天照大神→天神御子→初代天皇という展開をたどって,王権神話を完成する。日本の支配者が,7世紀より天皇号を使用してその権威を超絶したものとし,ついで,道教で宇宙最高神の権威の象徴であった,鏡,剣を皇位の璽(しるし)とし,《日本書紀》にいたって,国号を,道教でいう天上の清明な世界である〈大和〉と書くにいたる,一連の中国の観念を借りての国家および王権の尊厳化の試みも,この神の成立と関連する。…
…この《倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)》《造伊勢二所太神宮宝基本記》などが,後世〈神道五部書〉とよばれるものだが,ここに,神宮の古伝承をもとに,さらに外宮の神徳の種々を掲げた典籍を根拠として,いわゆる伊勢神道の教説が唱えられるようになった。 その主張する点を見ると,まず外宮の祭神御饌都神は,《古事記》《日本書紀》にみえる天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や国常立神(くにとこたちのかみ)と同神であり,この神が天地開闢(かいびやく)にあたり天照大神と幽契を結んで永く天下を治めることにしたのだとして,天照大神の権威を世界観の上から基礎づけようとしている。ついで,外宮の神は水徳をつかさどり,内宮の火徳と両々あいまって人々の生活を発展させるものだが,前者はとくに万物を養い育てるの徳があるとして,食物神から生産神へと発展させて説いた。…
…ウケは食物,モチは〈保〉の文字によると〈持ち〉の意であるが,本来は〈貴(むち)〉の意か。《日本書紀》神代の条の神話では,天照大神(あまてらすおおかみ)の命(めい)により月読尊(つくよみのみこと)がウケモチノカミのもとに行くと,ウケモチが口から飯,魚,獣を出して供応したので,ツクヨミはその行為を汚いと怒り,剣を抜いてウケモチを殺し,アマテラスに報告した。すると,アマテラスは激怒してツクヨミとは二度と会うまいと言い,それで日と月とは一日一夜を隔てて住むのだと説明し,さらにウケモチの死体の各部分から,牛馬(頭),粟(額),蚕(眉),稗(ひえ)(目),稲(腹),麦・大豆(陰部)ができたという五穀の起源説話を載せる。…
…鏡が神の依代(よりしろ)となり神体とされ,宗教的に取り扱われるわけもここにあり,日本において神璽や神剣とともに三種の神器と称して神聖視されたいわれもまたここにある。すでに《日本書紀》では神代記事に天照大神(あまてらすおおかみ)が天の岩屋戸にさしこもり,世の中が暗やみとなったとき,思兼(おもいかね)神によって石凝姥命の作った鏡を岩屋戸にさし入れて天照大神の出現を祈った。鏡はその人の真影を映すので,天照大神は孫瓊瓊杵(ににぎ)尊を大八洲国(おおやしまぐに)につかわすときにこの鏡を渡して,もっぱらわが魂としてわが前にいつくがごとくいつきまつれと勅した。…
…72年に黒住講社として政府から認可され,76年に神道修成派とともに教派神道として別派独立を許可されて神道黒住派と称し,82年に神道黒住教と改称。教義は,教祖黒住宗忠の天命直授(じきじゆ)をふまえたもので,天照大神を万物の根源となし,人間はその分身で,神人不二(ふに)とする。その神観は天照大神を宇宙の最高神となし,人間は天照大神にすべてをまかせることで,家内,一門,国家の平安繁栄を得られるとし,現実のいっさいの矛盾や苦悩を心の持ち方で変えることで克服し,解消できるとなし,毎日を陽気に暮らすことが肝要であると説いた。…
…《古事記》によれば,素戔嗚(すさのお)尊によって殺害された大気津比売(おおげつひめ)神の身体の頭からは蚕が,両目からは稲が,両耳からはアワが,鼻からは小豆が,陰部からは麦が,尻からは大豆が発生し,神産巣日御祖(かみむすひのみおや)命がそれらを天上に取り寄せて,高天原で農業と養蚕を創始した。《日本書紀》では,これとまったく同類の話が,月読(つくよみ)尊に殺された保食(うけもち)神の身体のいろいろな場所から発生した五穀や蚕などが天上に運ばれ,天照(あまてらす)大神がそれによって農業と養蚕を創始したという形で物語られている。
[神話の伝播]
この例からも知られるように,世界中の神話は,内容が前述したとおりきわめて多様であるのに,その反面,遠く離れた地域の神話のあいだにも非常にしばしば驚くほどの類似や一致が見いだされる。…
…この天皇が記紀の伝承の中で特に目だつ点は,大物主(おおものぬし)神をはじめとしてもろもろの国津神(くにつかみ)を祭り,また伊勢神宮の創始に関係したとされることである。《日本書紀》によると,それまで天皇と共殿共床の関係にあった天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫(とよすきいりひめ)命に託して宮廷の外に移し,いわゆる神人分離の基をつくった。トヨスキイリヒメは《古事記》に〈伊勢大神を拝(いつ)き祭る〉と記され,初代の斎宮(さいぐう)であるという。…
…中国の原初の巨人盤古(ばんこ)が死んで,その左目が太陽,右目が月になったのもその一例である。《古事記》に,伊邪那岐(いざなき)命が黄泉(よみ)から帰ってみそぎをしたとき,左目を洗うと天照大神(太陽),右目を洗うと月読命(月)が生まれたとあるのも,この形式の変種である。 太陽は天を横断して毎日運行している。…
…それは,葦原中国に蟠踞する国津神(くにつかみ)と対立する天津神(あまつかみ)の居所であった。日向(ひむか)の檍原(あわきはら)で誕生した日神天照大神(あまてらすおおかみ)が,支配者として高天原にまつり上げられた。乱暴者の弟神素戔嗚(すさのお)尊との葛藤のあげく,日神が天の岩屋戸にこもる天の岩屋戸神話の舞台もここである。…
…垂仁天皇の娘,日本武(やまとたける)尊のオバにあたる。崇神朝に宮廷内からいったん倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に遷されていた天照大神(あまてらすおおかみ)は,垂仁朝によりよき宮処を求めて東国諸国を遍歴した末,大和の東方伊勢度会(わたらい)の地に鎮座することになった。このとき大神の御杖代(みつえしろ)となったのがヤマトヒメであった。…
…人々は腐乱してすさまじい臭気を放つ死体とともに暮らしたのであり,黄泉国でのイザナミの姿がひどく肉体的に表現されるのも,この殯における死体の印象からきている。黄泉国にはあらわな肉体性とけがれがつきまとっており,だからこそそこから生還したイザナキは〈日向(ひむか)の橘の小門(おど)〉でみそぎをし,すべてのけがれを流し去ったときに天照大神(あまてらすおおかみ)が誕生したのである。天皇家の祖神天照大神はこうして大地と地下の世界から分離されて〈高天原〉へと上昇し,〈天孫〉は天上で生まれることになる。…
※「天照大神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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