朝日日本歴史人物事典 「広田憲寛」の解説
広田憲寛
生年:文政1.6.10(1818.7.12)
幕末明治期の蘭学者,教育者。幼名は吉之助,名は敬次郎,通称は文吉,儀太夫,号は九鱗。越前大野藩(大野市)藩士の家に生まれ,藩命で西洋砲術修業のため佐久間象山 の門に入る。のち帰藩して藩営の洋学館で伊藤慎蔵に蘭学を学び,慎蔵の蘭書翻訳手伝,同館句読師手伝を経て,のち講釈を担当。辞書『訳鍵』を増補改正し,大部な『和蘭字彙』をもとにハンディな蘭日辞典『増補改正訳鍵』全5巻(1857~60)を刊行した。明治3(1870)年権大属に任ぜられ,廃藩以後は戸長,小学校教員を勤めた。大野で没し,託縁寺に葬られた。<参考文献>石橋重吉『若越新文化』
(宗田一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報