朝日日本歴史人物事典 「藤林普山」の解説
藤林普山
生年:天明1.1.16(1781.2.8)
江戸後期の蘭学者。本姓大西氏。名は紀元,字は君諧,通称は泰介(泰助とも),淳道,号は普山,筒城。山城国綴喜郡普賢寺村(京都府田辺町)水取の生まれ。寛政8(1796)年より3年間京都に出て医を学び,稲村三伯(海上随鴎)の『波留麻和解』を購入して帰郷,独学10年,西洋の学を尊んだ。また晩年の木村蒹葭堂を再度訪問。文化3(1806)年小森桃塢と共に随鴎に入門した。『波留麻和解』が7万語かつ30部のみであったので,師に請うて簡便な3万語の蘭日辞典『訳鍵』を文化7(1810)年出版,これが蘭学の普及に貢献した。付録に文法を略説,これはのち『蘭学逕』となる。『和蘭語法解』『遠西度量考』のほか『西医方選』などの医書の翻訳がある。天保1(1830)年有栖川宮家の医員。昭和32(1957)年田辺町で120年祭,平成4(1992)年同町で普山会が発足した。<参考文献>普山先生景仰会『蘭学の泰斗藤林普山先生』,山本四郎「藤林普山伝研究」(有坂隆道編『日本洋学史の研究』3)
(山本四郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報