戸長(読み)コチョウ

デジタル大辞泉 「戸長」の意味・読み・例文・類語

こ‐ちょう〔‐チヤウ〕【戸長】

明治前期、地方行政区画の区や町村行政事務をつかさどった役人。明治5年(1872)の大区小区制下では小区の長として置かれ、従来庄屋名主などから選ばれた。同22年町村制施行により廃止。今の町・村長にあたる。

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精選版 日本国語大辞典 「戸長」の意味・読み・例文・類語

こ‐ちょう‥チャウ【戸長】

  1. 〘 名詞 〙 明治四年(一八七一)、戸籍法制定により戸籍事務施行の末端機関として設けられた区の長。従来の名主、庄屋、年寄がこれに当たった例が多い。後に区が町村行政機関に転化するに伴い、一般行政事務をも取り扱った。同二二年市制・町村制施行により廃止。

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改訂新版 世界大百科事典 「戸長」の意味・わかりやすい解説

戸長 (こちょう)

明治前期の行政区画である区・町・村の長。1871年(明治4)に発布された戸籍法の戸籍吏として置かれたのが始まりで,大区・小区制下では数町村を組み合わせた小区の長として地方官に任命され,その監督下に国家行政を遂行した。78年の郡区町村編制法により戸長は民選となり,各町村もしくは2~3町村に1名ずつ置かれた。行政吏であると同時に町村公共事務を処理する理事者でもあった。旧村の庄屋や豪農層など,町村の有力者が戸長になる事例が多く,自由民権運動の発展や松方デフレ財政による農村不況を背景に民権運動家として反政府の動きを示した戸長も多い。84年政府は忠実な戸長を獲得するために民選を改めて官選とし,戸長役場管轄区域を平均5町村500戸と拡大した。戸長給与を改善し,有能な行政吏登用へ道を開くための措置で,反政府気運の強い地には官僚戸長が出現した。89年の町村制施行により廃止された。
区長
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「戸長」の意味・わかりやすい解説

戸長
こちょう

明治前期の地方行政区画である区、町、村の長。1871年(明治4)に発布された戸籍法の戸籍吏として置かれたのが始まりで、翌年からの大区・小区制下では数町村を組み合わせた小区の長として地方官によって任命され、その監督下に国家行政を遂行した。78年の郡区町村編制法により戸長は民選となり、各町村もしくは2、3か町村に1名ずつ置かれた。行政吏であると同時に町村公共事務を処理する理事者ともなった。旧村の庄屋(しょうや)(名主)や豪農層など町村の有力者が戸長となる事例が多く、自由民権運動に参加する戸長もみられた。84年政府は忠実な戸長確保のため民選を官選にし、その管轄区域を平均5町村に拡大した。89年町村制施行により廃止。

大島美津子]

『大島美津子著『明治のむら』(教育社歴史新書)』『亀卦川浩著『地方制度小史』(1962・勁草書房)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「戸長」の意味・わかりやすい解説

戸長
こちょう

明治政府が明治4 (1871) 年制定の戸籍法に基づいて,戸籍事務のために設けた行政区画としての区の長。区内の戸数人員,生死出入などを司ったが,同5年庄屋,名主などそれまでの村役人を戸長と改称して,旧来の事務のほか,土地住民に関係すること一切を行わせることにした。 1874年にその身分は官吏に準じられた。 78年に公選制がとられたが,84年に官選となった。しかし 88年の町村制によって戸長の制は廃止された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「戸長」の解説

戸長
こちょう

明治前期に町村の長として行政事務を扱った役職。1871年(明治4)の戸籍法をうけて,区内の戸籍責任者として設けたのが始まり。翌年江戸時代の庄屋などを戸長と改称したが,同時に実施された大区小区の区長との区別は明確でなかった。78年町村が正式な行政単位となり,その長官として戸長が公選(84年に官選)で選ばれ,府県が任命した。89年市制・町村制施行で市長・町村長となり廃止された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「戸長」の解説

戸長
こちょう

明治前期の地方行政区画の長
1871年制定の戸籍法に基づき戸籍事務担当者として設置された。'72年大区・小区制では小区の長,'78年の郡区町村編制法では1ないし数町村の長で,旧来の村役人や豪農出身が多く,行政官と住民の代表者の二面性をもった。'89年市制・町村制施行で市長・町村長となり,戸長は廃止された。

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普及版 字通 「戸長」の読み・字形・画数・意味

【戸長】こちよう

村長。

字通「戸」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の戸長の言及

【家族制度】より

…この戸籍法では,現実の〈戸〉内における家族の居住関係やその身分異動の実態が,戸籍にそのまま反映されることが期待されていた。そのため,全国の戸主は,華士族,平民を問わず,戸長に対して,家族の居住関係や身分関係の変動を届け出る義務(権利)を負うことになった。具体的には,出生,死去,出入(=婚姻・縁組の成立,解消,移住など,送入籍をともなうもの)という居住,身分関係の変動を戸長―戸主の系列によって,国家が統一的に把握しようとするものであった。…

【区】より

…これは全国的な政治支配を目的として明治政府が設けた最末端行政区画である。大区には区長,小区には戸長なる下級官吏が配された。しかし,この人工的行政区画たる大区小区制はうまく機能せず,78年に自然村秩序との調和を図った郡区町村編制法により修正され,ここに法人格をもつ地方団体としての〈区〉が形成された。…

【三新法】より

…(1)郡区町村編制法は,全国の行政区画および地方団体の区域の構成を定めた6ヵ条からなる法律で,府県の下に郡区町村をおき,大区・小区制の下で認められていなかった町村を公認し,郡町村の名称は従来のままとした。区は3府(東京,京都,大阪)5港(横浜,神戸,長崎,新潟,函館)その他の市街地の行政区画である。郡には郡長,区には区長,町村には戸長1人ずつをおくと定めた。…

【壬申戸籍】より

…この戸籍は,その後これを改製したものを含め,明治5年の干支をとって壬申戸籍と呼ばれている。戸籍の検査,編製の実施機関は,全国のすべての地方を区に分け,これにおかれた戸長である。同法ははじめ戸長を戸籍事務のための機関として構想したが,新しい府県制度の下では,地方制度の末端機関として位置づけられた。…

【大区・小区】より

…廃藩置県後,政府によって新しく定められた地方行政制度。1871年(明治4)4月に出された戸籍法が,戸籍事務遂行のため新しく区を設定し,戸籍吏として戸長・副戸長をおくことを命じたのが初めである。ついで翌年,戸長・副戸長と旧町村役人(名主・庄屋など)との間におこる権限の競合に対処するため,旧町村役人の廃止と区制による統一を命ずる布告が出され,大区・小区制は形をととのえた。…

※「戸長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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