日本歴史地名大系 「広野了頓邸跡」の解説 広野了頓邸跡ひろのりようとんていあと 京都市:中京区明倫学区了頓図子町広野了頓邸跡[現在地名]中京区了頓図子町広野家は代々足利氏の従臣であったが、義輝の時此地を領有して市井人となった了頓は、ここに茶亭を構え茶道を広めた。豊臣秀吉も広野邸を訪れて茶を点じ、その縁によって知行二八〇石を宛行われ、この地を安堵された。文禄三年(一五九四)五月一一日、徳川家康も了頓邸に遊んだが、その様子を山科言経は日記「言経卿記」に次のように記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by