広野了頓邸跡(読み)ひろのりようとんていあと

日本歴史地名大系 「広野了頓邸跡」の解説

広野了頓邸跡
ひろのりようとんていあと

[現在地名]中京区了頓図子町

広野家は代々足利氏の従臣であったが、義輝の時此地を領有して市井人となった了頓は、ここに茶亭を構え茶道を広めた。豊臣秀吉広野邸を訪れて茶を点じ、その縁によって知行二八〇石を宛行われ、この地を安堵された。

文禄三年(一五九四)五月一一日、徳川家康も了頓邸に遊んだが、その様子を山科言経は日記「言経卿記」に次のように記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む