日本歴史地名大系 「広長村」の解説 広長村ひろながむら 宮城県:志田郡鹿島台町広長村[現在地名]鹿島台町広長大松沢鹿島台(おおまつざわかしまだい)丘陵東部、東西に幅広く、北に奥深く切れ込む広長川の谷底地と丘陵からなる。東は平渡(ひらわた)村、西は深谷(ふかや)村、南は品井(しない)沼、北は鹿島台丘陵尾根で松山(まつやま)郷千石(せんごく)村・長尾(ながお)村(現松山町)と接する。貞応二年(一二二三)六月二〇日の関東下知状(田代文書)によれば「一所 陸奥国長世保内弘長郷」など四ヵ所の地頭職は、父清実法師の譲状により清経に与えられることが確認されている。また弘安四年(一二八一)一二月二八日の関東下知状(同文書)に「可早以尼法名領知陸奥国弘永郷内船越村一期之後者宗清可令伝領事」とあり、為清から一期のみ尼某に、その後は品川宗清に譲られている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by