日本歴史地名大系 「庄本村」の解説 庄本村しようもとむら 大阪府:豊中市庄本村[現在地名]豊中市庄本町一―四丁目・庄内宝(しようないたから)町一―三丁目・庄内栄(しようないさかえ)町三―五丁目・島江(しまえ)町一丁目・二葉(ふたば)町一―三丁目島江村の西、猪名(いな)川と神崎川の合流地にあたる低湿地域に立地。中世は椋橋東(くらはしひがし)庄に属し、村名の庄本は椋橋東庄の庄本に由来するという。戦国期には当地に椋橋城が築かれている。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図にみえる倉橋(くらはし)村は当村のことであろう。元和初年の摂津一国高御改帳では「椋橋之庄十ケ村之内」三千四五一石余のうちに含まれる。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳に村名がみえ、高七七六石余、旗本大島茂兵衛領二五一石余・同大島久左衛門領五〇〇石・幕府領二四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by