庭野村(読み)にわのむら

日本歴史地名大系 「庭野村」の解説

庭野村
にわのむら

[現在地名]新城市庭野

一鍬田ひとくわだ村の東北にあたる。豊川の左岸沿いに耕地が広がる。八名やな郡に属した。当村東南の谷あいを大脇おおわきとよび、大脇村と称したこともあるが、正式の村となったことはないようである。村名は永禄四年(一五六一)の今川氏真判物(富賀寺文書)に「右田地十三町 但庭野郷之内共」とあり、庭野郷の名がみえる。

近世初頭は幕府領であったが、寛永一三年(一六三六)から安部氏の所領となり、元禄一四年(一七〇一)安部信峯は弟の安部小十郎信方に二千石を分知し、以来明治に至るまで小十郎家(中本家)の所領である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android