延信王
生年:生没年不詳
平安中期の官人。花山天皇皇子の清仁親王と源頼房(大宰府長官)の娘の子。賜姓源氏。寛徳2(1045)年に神祇伯(神祇官の長官)に任命され,子の康資王もこの職を受け継いだ。古来神祇伯には,中臣氏が任じられる例が多かったが,しだいに他氏も任じられるようになり,棟貞王の補任(876)が王の初例となった。延信王のあと永万1(1165)年曾孫の顕広王が神祇伯になって以降,この家系が神祇伯を世襲した。そこでこの家系を伯家(白川家)と呼ぶようになり延信王はその祖と仰がれた。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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延信王 のぶざねおう
?-? 平安時代中期,清仁(きよひと)親王の王子。
花山天皇の孫。母は源頼房の娘。万寿2年(1025)源の姓をあたえられる。寛徳2年神祇伯(じんぎはく)に任じられ,以後神祇伯はその子孫の世襲となり,家系は伯家(白川家)とよばれた。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の延信王の言及
【伯家神道】より
…[白川家]の神道で,白川神道ともいう。白川家は花山天皇の皇子清仁親王の子延信王の後胤で,王は1025年(万寿2)臣下に下り,後に[神祇伯]に任ぜられ,子孫代々この職に任ぜられたので伯家ともいう。伯に任ぜられたとき王号を賜うのが例であったので,王氏とも称せられた。…
※「延信王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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