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白川家 しらかわけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

白川家
しらかわけ

伯家,王家ともいう。花山天皇の孫延信王 (のぶざねおう) の後裔。延信王が万寿2 (1025) 年臣籍に下り源氏を称して以後,代々神祇伯 (神祇官の長官) に任じられ,幕末にいたった。明治に伯爵を授けられた。 (→伯家神道 , 伯家部類 )

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世界大百科事典 第2版の解説

しらかわけ【白川家】

花山天皇より出た源氏。代々神祇伯(神祇官の長官)に任ぜられて明治維新に及んだので,伯家ともいう。また神祇伯に任ぜられると某王と称することを許され,その女は女王と称した特異な家である。伯家が王を称することを許された理由は,朝儀において王を称するものが必要であったからである。たとえば,天皇の伊勢神宮への奉幣は王が使者となり,天皇即位礼のとき,高御座(たかみくら)の御帳を褰(かか)げる2人の女性のうち,1人は女王であることなどがそれである。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

白川家
しらかわけ

花山(かざん)天皇の曽孫(そうそん)延信(のぶざね)王が1025年(万寿2)源姓を賜り興した家。王を称して世襲で神祇伯(じんぎのかみ)(神祇官長官)となり、伯家(はくけ)とよばれて明治維新まで続く。のち伯爵になる。室町期以来、卜部(うらべ)(吉田)家の唯一神道(ゆいいつしんとう)に押され、江戸時代もとくに1665年(寛文5)の幕府の諸社禰宜神主法度(ねぎかんぬしはっと)によって多数の地方神社は吉田家支配下になった。しかし後期には白川家も積極的に神社組織化を企図し、幕府も容認したので、白川家の配下神社は宝暦(ほうれき)期(1751~64)の64社から文化(ぶんか)期(1804~18)の292社に増えており(白川家「諸国神社附属帳」)、明治維新まで、各地で吉田家との配下神社の争奪が続けられた。[高埜利彦]

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世界大百科事典内の白川家の言及

【諸社禰宜神主法度】より

…のみならず,その他の神社についても,必ずしも吉田家執奏に限定はされなかった。そのため吉田家を通して官位執奏をする神職のほかに,白川家や他の公家の執奏を願う神職も増えていった。江戸時代後期に,地方の神職を吉田家と白川家とが競って配下におさめようとしたのはこのような事情に起因する。…

【神祇伯】より

…しかるに,平安時代中期876年(貞観18)に棟貞王が,神祇伯に任官して以降,多く皇親である王が任官するようになり,先例となった。花山天皇の孫の延信王が任官し,その曾孫顕広王がまた任官して以来,王の子孫が神祇伯を世襲し,白川伯王家,もしくは白川家を称した。この家は神祇伯が王の就任する官であるため,花山源氏であるにもかかわらず任伯と同時に王を称する例がある。…

【伯家神道】より

白川家の神道で,白川神道ともいう。白川家は花山天皇の皇子清仁親王の子延信王の後胤で,王は1025年(万寿2)臣下に下り,後に神祇伯に任ぜられ,子孫代々この職に任ぜられたので伯家ともいう。…

※「白川家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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