延寿寺城(読み)えんじゆじじよう

日本歴史地名大系 「延寿寺城」の解説

延寿寺城
えんじゆじじよう

延寿寺にあったとされる戦国期の城郭。寛正六年(一四六五)と推定される一〇月一七日の宝勝院光憧書状(大友家文書/大分県史料二六)に「生葉延寿寺城以来、至麦生・鷹執・四ケ所村溝口」などとみえる。肥後の菊池為邦と大友政親が戦った時の戦況を伝えたもので、延寿寺城は菊池方に付いた星野氏の居城と思われる。当地にある古城跡福丸ふくまる城・福増ふくます城・福益ふくます館などとよばれるが、延寿寺城のことか。星野系図(筑後将士軍談)には星野氏二代鎮実が本星野もとほしの(現星野村)の館を弟実隆に譲り、延寿寺村に福丸城を築いて福益館に移居したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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