古城跡(読み)ふるまやじようあと

日本歴史地名大系 「古城跡」の解説

城跡
ふるまやじようあと

[現在地名]穂高町大字有明 古厩

千国ちくに道沿いの古厩に郷町がつくられており、ここを流れる用水まち川といい、町並の長さはおよそ二町余で、上下に鍵の手がつくられている。町並の北に高根たかね神社、南に大宮おおみや神社を祀っている。町並の中央西へ約一〇〇メートルの所に古厩氏の堀屋敷(間口四〇間、奥行六〇間)がある。

古厩城跡は町並の西方二・五キロの正真しようしん院の所在地で、明治初年の絵図によると、南北六〇間、東西九〇間の堀が残されている。本郭と副郭からなり、本郭(後方)は六〇間四方で、ここに慶安年代(一六四八―五二)正真院が建てられている。

古城跡
ふるじようあと

[現在地名]阿南町富草 古城 大爪

城林じようばやし川と井戸沢いどさわとの間にある四囲を望見できる小山の山頂と、その東に続いて大沢おおさわ川岸に突出した台地を利用して築かれた山城。西方に深い谷があり、北・東・南三面も急傾斜地である。地質は第三紀層に属し水蝕の影響が大きく谷は深い。

下条頼氏が最初に居館を構えた地といわれ、「下条記」にも記されており、現在は古城八幡社がある。

城は大体三つの小平地からなり、本丸というべき地は標高五四〇メートル、北東及び西北面三ヵ所に掻上げの空堀があり、山頂部は上下二段の平場で、現在八幡社の社地となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報