吉井町(読み)よしいまち

日本歴史地名大系 「吉井町」の解説

吉井町
よしいまち

[現在地名]吉井町一区いつく二区にく三区さんく四区よんく五区ごく六区ろつく七区ななく八区はちく九区きゆうく一〇区じつく一一区じゆういちく一二区じゆうにく一三区じゆうさんく一四区じゆうよんく一五区じゆうごく一六区じゆうろつく一七区じゆうななく一八区じゆうはつく一九区じゆうきゆうく二〇区にじつく二一区にじゆういつく東川前ひがしこうぜん・サンコーポラス

筑後川中流左岸、耳納みのう山地東端北麓の扇状地に位置する。巨瀬こせ川が南東から北西に流れ、災除さいのき川周辺が町発祥の地とされる。日田街道(中道往還)が東西に通る在郷町。古くは吉井町村と称し、吉井村ともみえる(「啓忘録抜萃」・田代家文書など)。正保四年(一六四七)の大小道之帳によると田主丸たぬしまる(現田主丸町)から吉井町まで一里一三町、当町から溝尻みぞしり(現浮羽町)まで二八町。また筑後川の柳瀬やなせ渡まで一里一五町。同渡は徒渡りで幅一〇九間・深さ二尺、筑前国林田はやしだ(現杷木町)に至った。また同渡から山北やまきた(現浮羽町)ほきノ大道まで二六町。寛元二年(一二四四)七月一六日、生葉いくは庄内得安とくやす名の屋敷・田畠をめぐって御家人吉井四郎長広と矢部十郎直澄とが争った(吾妻鏡)。吉井氏は当地を名字の地とする在地領主とされる。なお得安名の所在地は不明。

天正一五年(一五八七)豊臣秀吉の九州制圧に伴い、耳納山麓の延寿寺えんじゆじにあった星野氏の福増ふくます城下が移転して成立したと伝える(筑後将士軍談)。文禄四年(一五九五)一二月一日の小早川秀俊宛行知行方目録(萩藩閥閲録)に「筑後国(生)葉郡よしい村」がみえ、当村の七九七石八斗など都合一千一〇〇石が深野景弘に与えられている。元禄国絵図には吉井町馬次とあり、本高七四三石余。「在方諸覚書」によれば石井弥六郎組と田代弥仲組に分属し、前者は古高六七三石余、役高は二筆に分れ五三七石と五五五石。


吉井町
よしいちよう

面積:二七・〇九平方キロ

北松浦半島のほぼ中央部に位置する。北部は松浦市、南部は佐世保させぼ市と接し、東は世知原せちばる町、西は江迎えむかえ町・佐々さざ町。町域の北東部に高法知たかぼうち(四一一・五メートル)、南部に五蔵ごぞう(四五五・四メートル)などの山嶺があり、世知原町域から西流してきた佐々川に町域の福井ふくい川などが合流する。これらの流域の平坦地は狭小で、山がちな地勢となっている。松浦市境に福井峠、佐世保市境に妙観寺みようかんじ峠があり、西端部を松浦鉄道および国道二〇四号が通るほか、主要地方道の佐世保―吉井―松浦線や県道の世知原―吉井線がある。

福井川の流域に直谷なおや岩陰遺跡などがあるが、同川東手の福井洞窟遺跡は旧石器時代から縄文時代にかけての遺物が層位的に出土して貴重な編年史料を提供するとともに、旧石器時代終末期に土器をもっていたことなど、日本の旧石器時代文化の解明に大きく貢献した。律令制下では松浦まつら郡に属した。


吉井町
よしいまち

面積:二八・二九平方キロ

浮羽郡の中央部、耳納みのう山地北面から筑後川中流域左岸にかけての沖積地に広がる。東から南は浮羽町、西は田主丸たぬしまる町、北は筑後川を挟み朝倉あさくら郡朝倉町・杷木はき町。南部の耳納山地は峻険な断層崖と台地を形成し、町域中央を巨瀬こせ川や災除さいのき川が西流する。東西に国道二一〇号、並行して北を主要地方道久留米―浮羽線、南を同浮羽―草野くさの―久留米線が通る。国道二一〇号にほぼ並行してJR久大本線が通り、筑後吉井駅がある。「和名抄」の生葉いくは郡七郷のうち小家おえ郷と高西こせ郷を町域に比定する説がある。巨瀬川以南の山麓に条里遺構がある。中世には生葉庄・小家庄などが成立。


吉井町
よしいまち

面積:五七・九八平方キロ

藤岡市を挟んで多野郡の北端に位置し、北は高崎市、西は安中市・富岡市・甘楽かんら郡甘楽町と接する。北流する矢田やた川や大沢おおさわ川など、南流する申田さるた川などをかぶら川が合せて、蛇行しつつ東流する。平地は鏑川両岸に開けるが、南部は牛伏うしぶせ(四九〇・五メートル)など山地が続き、北部も標高二〇〇メートル前後の丘陵地をなす。中央部を国道二五四号が東西に走り、並行して上信電鉄が通り馬庭まにわ・吉井・西吉井の各駅が開設している。多比良たいら神保じんぼからは尖頭石器が発見され、縄文・弥生期の遺跡や古墳も段丘上に多く分布する。


吉井町
よしいちよう

面積:八六・七七平方キロ

赤磐郡の北端に位置し、東は吉井川を挟んで和気わけ佐伯さえき町、西は久米くめ久米南くめなん町・御津みつ建部たけべ町、南西は御津町に接し、北は久米郡柵原やなはら町、南は赤坂あかさか町に接する。西部は吉井高原をはじめとする山々が連なり、東端を吉井川に吉野よしの川が合流して南流し、山々から流出した滝山たきやま川・高田たかだ川が東流して流れ込み、すな川が南流する。山が多く平坦地が少ない。吉井川沿いに片上かたかみ鉄道と国道三七四号が走り、南西から北東に県道赤穂―建部線が通る。平城宮跡出土木簡にすさい郷の名がみえ、天平一七年(七四五)に鍬を納めたことが記されている。古代には町域の大部分は赤坂郡郷に属したと考えられ、式内社が四社(六座)ある。


吉井町
よしいまち

[現在地名]金井町吉井

北は吉井本郷よしいほんごう村、東は三瀬川さんせがわ村、西は地持院じじいん川を隔てて馬場ばんば村、南は吉井沖の田地を経て下新穂しもにいぼ(現新穂村)吉井上町よしいうわまち吉井下町よしいしたまちに分れる。上町は吉井本郷村寄りの台地先端付近にあり、下町は上町と平行して三瀬川村寄り台地下にある。台地先端にあった吉井城の南に開けた中世の城下町。「佐州巡村記」によると、上町は田八歩・畑一町三反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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