日本大百科全書(ニッポニカ) 「廻漕会社」の意味・わかりやすい解説
廻漕会社
かいそうがいしゃ
民部省通商司の下にできた旧幕府所有船などによる明治政府初期の運送組織。1869年(明治2)12月、三井組を中心に廻漕会所が創立されたが、翌年正月に廻漕会社と改称、横浜―伊勢(いせ)間、東京―横浜間と大阪―神戸間の定期航路に従事した。東京は霊岸島(れいがんじま)大川端(おおかわばた)の越前(えちぜん)侯屋敷(中央区新川2丁目)を基点とし、大阪は富島二丁目に取扱所を置いていた。取扱い貨物は米穀がもっとも多く、茶、酒、木綿、鰹節(かつおぶし)、薬種、油、砂糖なども含まれていた。貨客の業務は、廻漕会社と通商司所管の廻船仲間、飛脚(ひきゃく)仲間で取り扱っていたが、会社の性格が半官半民のためもあって、10万円余の赤字を生んだ。政府の干渉が甚だしかったのと、所有汽船の老朽化や航路に競争者が出現したためである。結局71年1月、三井組手代吹田(すいた)四郎兵衛らにいっさいの用船を引き継がせて、新たに廻漕取扱所を設立させた。
[加藤幸三郎]