廻間村(読み)はさまむら

日本歴史地名大系 「廻間村」の解説

廻間村
はさまむら

[現在地名]清洲町廻間

東を清洲村廻間分、南を海東かいとう土田つちだ村、西を中島郡増田ました(現稲沢市)、北を同郡西市場にしいちば村と接する。寛文一一年(一六七一)には家数四六、男一五〇人・女一三八人(寛文覚書)。「徇行記」によると、田は五町六反五畝余、畑は五町二畝余で、概高二二二石余はすべて藩士六人の給知。村の中に農家はなく、農家は清洲村廻間分の中にあって清洲本郷に属した。


廻間村
はさまむら

[現在地名]春日井市廻間町

迫間とも書く。和泉いずみ村・一色いしき村の東、村を大谷おおたに川が流れる。円福寺寄進田帳(円福寺蔵)に「弐段 ハサマ平内田、坪本ハ大曲ナハテヨリ東公方年貢四百文 七十弐文同公事物」とあり、年次丁酉で文明九年(一四七七)である。寛文一一年(一六七一)の家数三二軒、人数一五七人(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田は一三町九反八畝余、畑は七町八反二畝余で、「薪ヲ採テハ小牧ノ市ヘ出シ、又馬カセキヲモシテ荷物名古屋ヘ継ヲクリ、又名古屋ヨリ枯魚塩ナトヲ馬荷物ニシテ、下街道筋濃州高山ヘ送リツカハス事アリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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