春日井市(読み)カスガイシ

デジタル大辞泉 「春日井市」の意味・読み・例文・類語

かすがい‐し〔かすがゐ‐〕【春日井市】

春日井

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日本歴史地名大系 「春日井市」の解説

春日井市
かすがいし

面積:九三・〇三平方キロ

名古屋市の北東部に位置し、尾張丘陵と濃尾平野の接触地帯に立地する。市の南東部を岐阜県の東南部に源をもつ庄内川が流れ、これを境として瀬戸市と名古屋市に接し、西部から北部にかけて西春日井郡・小牧市・犬山市・岐阜県多治見たじみ市と接している。地形は濃尾平野東部にみられる五段の段丘からなっていて、新第三紀丘陵と古生層山地からなり、東高西低の傾斜をなす。当市域は庄内川の流れと名古屋から長野に通ずるした街道(国道一九号)に沿って発達した。

春日井の市名は明治一三年(一八八〇)東春日井郡と西春日井郡とに分割される前の、春日井郡の郡名をとったものである。春日井は春日部かすがべの転声で、尾張国神名帳にも春日部と書かれているが、密蔵院所蔵の慶長六年(一六〇一)松平忠吉朱印状写には「尾張国春日井郡野田村」と記載されている。春部かすがべ郡の名は「和名抄」「延喜式」「三代実録」などにあり、藤原宮跡から出土した木簡にも「□治国春部評春□」とある。

〔原始〕

市の中央部、篠木しのき町で縄文時代晩期の土器の破片や石鏃、たくさんの石屑が採集されている。北部の田楽たらが町では磨製石斧が発見され、勝川かちがわ町・うめつぼ町・藤山台ふじやまだい高座たかくら山などでは石鏃が採集されている。弥生時代の遺跡は勝川町の南東山みなみひがしやま遺跡がある。

最も古い古墳は、四世紀末の出川てがわ町の大塚おおつか古墳であるが現在はない。五―六世紀には、味美あじよし古墳群・高御堂たかみどう古墳などの前方後円墳が築造され、七世紀頃までに廻間はさま白山しらやま玉野たまのといった地域が耕地化され、その周囲の小高い地に多くの古墳がつくられた。古窯は東北部の新第三紀層からなる丘陵地に多く、とくに下原しもはら地区では古墳時代の埴輪が須恵器窯で焼成された。奈良朝の須恵器窯が多い。窯は後に潮見しおみ坂・坂下さかした高蔵寺こうぞうじといった周辺部へ広がり、やがて桃山ももやま・小牧市高根たかね方面の平安瓷器に発展していった。

〔古代〕

大化改新前に、この地域に皇室関係の屯倉があったことは確かで、間敷まじき入鹿いるかの両屯倉が尾張にあった(日本書紀)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「春日井市」の意味・わかりやすい解説

春日井〔市〕
かすがい

愛知県北西部,濃尾平野の東端にある市。1943年勝川町,鳥居松村,鷹来村,篠木村が合体して市制。1958年,坂下町高蔵寺町を編入。南西部の勝川は古くからの市街地で江戸時代は下街道の馬継場として,旅籠,伝馬所が置かれ,宿場町として発展。付近一帯はもと春日井原と呼ばれるカヤ原であったが,寛文4(1664)年新木津用水が引かれしだいに開田された。北東部の洪積台地では果樹栽培が行なわれ,サボテンを特産。第2次世界大戦中,鳥居松に陸軍工廠が建設され,一時は 1万人の従業員を数えた。戦後この工廠跡に製紙工場が進出し,関連工業も発達した。JR中央本線,名古屋鉄道小牧線が通じ,東名高速道路春日井インターチェンジも開通し,北は小牧市,南は庄内川を挟んで名古屋市に接し,住宅地域としての変貌が著しい。ことに東部の高蔵寺ニュータウンは住宅団地のモデルとして知られる。市内には,国指定の史跡二子山古墳,多くの文化財を有する密蔵院をはじめ,古社寺が多い。東海自然歩道が通り,北部の玉野川峡谷美と定光寺を中心に東部丘陵地帯は愛知高原国定公園に属する。面積 92.78km2。人口 30万8681(2020)。

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