弘法筆を択ばず(読み)コウボウフデヲエラバズ

デジタル大辞泉 「弘法筆を択ばず」の意味・読み・例文・類語

弘法こうぼうふでえらばず

弘法大師は筆のよしあしを問題しない。真に一芸に長じた人は、どんな道具を使ってもりっぱな仕事をするたとえ。

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精選版 日本国語大辞典 「弘法筆を択ばず」の意味・読み・例文・類語

こうぼう【弘法】 筆(ふで)を択(えら)ばず

  1. ( 弘法大師のような書道名人は、筆の良い悪いを問題にしないの意 ) 真にその道にひいでた人は、どんな道具を使っても優れた成果を上げるものである。道具の良い悪いにこだわるのは真に腕前のある人ではないの意。

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ことわざを知る辞典 「弘法筆を択ばず」の解説

弘法筆を選ばず

弘法大師空海のような書の名人になると、筆のよし悪しなど問題にしない。名人上手はどんな道具でも使いこなすというたとえ。

[使用例] 弘法筆をえらばず、なんていうが、じっさい空海は筆をえらんでいる。弘仁三年(八一二)六月七日、空海は嵯峨帝に狸毛で作った筆四本を差しだして、「毛筆ハ、時ト処ニ応ジテ、ヨクヨク選バネバナリマセヌ」というようなことを言っている[榊莫山*山中書話|1988]

[解説] 実際には名人も道具を吟味することが多く、「弘法筆を選ぶ」ともいいます。明治前期までは、「能書筆を選ばず(選まず)」が一般的でしたが、後期から見出しの形がしだいに使われるようになったとみられます。

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