道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に置き換え、さらにその働きを拡大したり延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにしたものであり、コンピュータは大脳の働きを機械に置き換えたものである。ドイツの技術哲学者カップErnst Kapp(1808―1896)は、これを器官射影ということばで表現し、器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。また哲学者ノワレLudwig Noiré(1829―1889)は、道具はある働きを遂行するための手段であり、創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために人間の器官の働きを助けるためのものである。
[内田 謙]
道具と機械を区別して定義することはむずかしいが、古代から今日に至るまで、この二つを区別して定義づけることが試みられてきた。たとえば紀元前1世紀ころのローマの建築家ウィトルウィウスは、『建築十書』で「……これらのうちにメーカネー(器械)として作動するものとオルガノン(道具)として作動するものとがある。器械と道具の間には次の差異があると思われる。器械は多くの人手と大きな力で効果を発揮するように組み立てられている、……道具は一人の手で慎重に操作することによって企図されている目的を成就(じょうじゅ)する」と述べている。つまり器械とは多くの人力を集中して力が発揮されるものであり、道具は個人の技能が要求されて大きな効果を生み出すとする。多くの人力の集中を必要とした器械は、産業革命を経て機械力、電気力に置き換えられた。19世紀のドイツの工学者ルーローは「機械とはその手段によって機械的な自然力が一定の決定的運動を伴って作業を遂行できるようにつくられた一つの抵抗力を備えた物体の組合せである」と『機械学』のなかで述べているが、アメリカの文明批評家マンフォードは、道具と機械の区別は、それを操作する人の熟練や動力からその操作がどれだけ独立しているかの程度に依存する、つまり道具は手加減と器用さの融通性に依存し、機械は自動作用による機能の専門化によるものである、という。そして、これらの中間に工作機械があり、工作機械は精巧な機械の正確さと熟練した職人の介添えをあわせもっていると述べている。換言すれば、機械とは機能の専門化に重点を置き、道具は融通性を表現したものである。
道具ということばとともに、しばしば器具ということばが用いられる。日常においても道具と器具はあいまいのまま使われているが、ノワレは、道具、器具、武器の区別について、「道具は能動的であり創造してゆく原理に相応し、器具は受動的で生命の保持に役だつものであり、武器はなによりも破壊的である」としている。つまり、道具は農具や大工道具などのように生産のために用いられるもの、器具は茶碗(ちゃわん)や机・椅子(いす)、ベッドなどのように生命を維持してゆくときに使われるものであり、武器は動物や人間を殺傷するために使われるものである。
[内田 謙]
人類の歴史において、人は生き続けるためにまず置かれた環境に適応しなければならなかった。さらにそれを支配するための技術を身につけなければならなかったし、そこから道具もつくられた。
人類学者のフレーザーは、人類の初期文化を呪術(じゅじゅつ)のなかに位置づけ、理論的呪術を擬科学としての呪術、実際的呪術を擬技術としての呪術であるとしているが、おそらく呪術を通して集合意識に支配されていた原始人は、その生活のなかで呪具を用いていたであろう。そこでは道具は聖なる具として用いられたのである。一方、俗なる生活の必要から道具の製作が始まり、擬技術として存在した呪具は、俗な道具に置き換えられる。
日本においても、「道具」は仏教のなかで用いられたことばであって、「蓄うる所の物、身を資(たす)け道を進むべき者、即(すなわ)ち是(こ)れ善法を増長するの具」(中阿含(あごん)経)と記されている。つまり道具とは人間の生を助け、人間が仏道に従って生きるための具をいう。いずれも聖なる具であって、これに対して俗なる生活用具には調度ということばが使われた。
[内田 謙]
人類の道具技術の進化のなかで、道具の製作とその使用にはいくつかの段階がみられる。
第一の段階は、第三紀鮮新世のアウストラロピテクスとよばれる人類の祖先が、ありあわせの天然石や粗製の石器を道具として使った「曙石器」の時代である。次の段階は、氷河期にあたるほぼ60万~1万2000年前の旧石器時代で、まず偶発的な道具の製作をしたピテカントロプス類またはヒト属の最古の種の前期旧石器時代の夜明けである。続いて、恒常的な道具の製作がみられる前期旧石器時代である。このころになると、北京(ペキン)原人の発掘とともに、人の手が加えられた多くの石器がみつかっており、ホモ・サピエンスの先行者による恒常的な道具の製作のなかに標準化がみられるようになる。たとえば、礫(れき)または板状の石の両側から剥片(はくへん)をはぎとり、鋭い縁をもったとがった舌のような形をした握斧(あくふ)は標準化がみられる最初の道具である。
さまざまな発展をみせる文化の源泉となった基本的な石器加工の技術は、アフリカからアジアおよびヨーロッパに広がり、アフリカでは石核の握斧が、東アジアでは標準型のチョッパーにみられる石核文化が、そして西アジアとヨーロッパでは剥片文化がそれぞれ発達している。中期旧石器時代から中石器時代には複雑な形をした道具が、引き切る、裂く、削る、磨くなどの技術を取り入れて、動物の骨や角(つの)、象牙(ぞうげ)などでつくられており、また多くの道具が道具をつくるための道具としてつくられた。
力学的原理を利用した道具(機械)がホモ・サピエンスによって数多くつくられたのが、新石器時代および金属器時代の特徴である。道具の有効な利用のためには、20世紀初頭の道具の研究家ヘーリヒFriedrich Herigのいう、手と道具の接する面Handseiteと物を加工する面Arbeitsseiteが適切でないと十分な効果を発揮することはできないが、すでにこの時代に道具に柄(え)がつけられ、その作用する縁や先端に適切な運動を与えて、加工する対象物に孔をあけたり、削ったりする方法が取り入れられている。てこの原理を利用した槍(やり)投げ器がつくられたのもこの時代である。
[内田 謙]
ノワレは、人間の手の発展段階を三つに分けて、(1)運動器官としての手、(2)捕捉器官(ほそくきかん)としての手、および(3)道具器官としての手をあげ、手が道具器官としてその資格をかちえたのは「つかむ」ことの働きによると述べている。
掌(手のひら)を広げてすべての指をそろえて伸ばした状態にし、小指側で物をたたくとき、手はチョッパーとなり、またその状態で掌側で物を広げたり伸ばしたりするとき、手は篦(へら)の役割をする。示指を1本だけ伸ばして、指先で物の表面にひねる運動をするとき、その指は錐(きり)の働きをする。また掌にくぼみをつくって両手を小指側で接触させると手は器(うつわ)にもなる。このように手は掌の状態を変えたり、指の位置を変化させることによってさまざまの種類の道具や容器になる。また握りこぶしは武器の役割もする。
取り外しのできる付加物としての武器を含めた道具は、人類の祖先が直立二足歩行を始め、手が自由に使えるようになって初めて登場し、手と歯の機能を補った。つまり人類は、ほかの動物のように鋭い歯も力強い手ももたず、走力にも恵まれなかったために、手を使って石を飛び道具とし、木の棒や動物の長骨を棍棒(こんぼう)として用いた。また獲物の皮をはいだり、肉を断ち切るために、鋭い縁のある天然の石を用いて、手や歯の働きを補い、やがて恒常的な道具の製作に移行していく。
[内田 謙]
手加減と器用さにゆだねられてその効力を発揮する道具は、まず手と道具の一体化、つまり道具は手になじむようにつくられる必要がある。古代の岩壁画に描かれている道具と手が一つになっている絵が象徴しているように、道具は人間が使いやすい寸法や筋力などに見合ったものでなければならない。その代表的なものが手と把手(とって)との関係である。把手は、すでに古代の道具につけられ、体験的に手になじむようにつくられてきた。たとえば、日本の物づくりの世界で長い歴史をもつ道具に大工道具があり、道具づくりの上手な大工ほど腕がよいといわれてきた。物を加工する面すなわち、のみや鉋(かんな)などの刃先は、それぞれの加工に見合った刃先角に大工自らの手で研ぎ込まれ、道具と手の接点である鋸(のこぎり)や金槌(かなづち)などの柄は、大工自身の手の握りに適合する形につくられる。大工は自分の道具を他人に貸すことも嫌う。このように厳しい条件のなかで生み出される道具は、道具機能の面からみても優れた効果を発揮する。
しかし今日のように、機械に限らず道具や製品が大量生産される時代では、道具が個人個人の身体寸法や出力に見合った形で使われるようにすることはむずかしい。手と道具の適応はそうした背景のなかで生まれている。いわゆる人間工学の世界でいうマン・マシン・インターフェースの問題である。これは、機械類に取り付けられている押しボタンやスイッチ、回転ノブ、ハンドルなどの操作具と、人間の手や足の寸法や形態、その出力などがうまく適応しているか否かの問題で、もし適応していない場合には使いにくくなるばかりでなく、誤操作を生じ事故の原因ともなりかねない。そこで人間のさまざまの特性に見合った操作具が必要となってくる。
つまり、大量生産時代の道具類は、だれが使っても使いやすいように、人間の諸特性に関する多くの資料を集めて、その資料を基にして、その道具や製品を使う対象に見合うように、道具や製品を設計し、生産していくのである。
[内田 謙]
道具は人類の歴史とともに数多くのものがつくられてきたが、その原形は古代ギリシア時代にほぼ出そろっている。19世紀の社会学者エスピナスは、道具ということばが用いられる範囲を示すために、ギリシアの工人たちが使った道具をあげているが、それらは、てこ、くさび、斧(おの)、槌、鋸、錠前、金属の枘(ほぞ)、孔(あな)のあいた肱金(ひじがね)、橈(かい)と帆、舵(かじ)、錐、錘(つ)む・織る道具、犂(すき)、孔をあける道具、ろくろなどである。
またフランスのプルードンは「人間が仕事をするために使うもっとも基本的な、もっとも一般的な道具、つまりそれらの道具の帰するところは、てこと棒である」と述べ、道具をアルファベットと同じ数に分類することを試みているが、それによると機能別の道具の分類は次のようなものである。
A―棒あるいはてこ(棒、杭(くい)、支柱など)。B―鉤(かぎ)類、曲がった棒(釣り針、懸け金(かけがね)、鍵(かぎ)、錨(いかり)、枘、銛(もり)など)。C―挟む道具(やっとこ、万力、二つの鉤の組合せなど)。D―縛るもの(糸、綱、鎖、柔らかい木の茎)。E―たたく道具(大槌、棍棒、槌、石臼(いしうす)など)。F―先のとがった道具(槍、投槍、矢、釘(くぎ)など)。G―コイン。H―斧(包丁、刀、剣)。I―鑢(やすり)。J―鋸。K―すくう道具(鋤(すき)、スコップ、スプーン、鏝(こて))。L―股鍬(またぐわ)(櫛(くし)、熊手(くまで)など)。M・N―傾斜。O―ころ(車輪や滑車に回転を与えるもの)。P―管(管、サイホン、排水溝、煙突)。Q―橈と舵。R―弓(ばね)。S―物差し。T―水準器。U―直角定規。V―コンパス。X―下げ振りあるいは振り子。Y―秤(はかり)。Z―円(球および結び目)。
以上のように道具としてあげられているなかには、今日のあらゆる機械を構成する五つの単一機械、つまりてこ、滑車、車輪と車軸、斜面とくさび、ねじが含まれている。これらの単一機械は古代においては一つの自然原理である「てこの法則」に結び付けられていたものである。
[内田 謙]
『L・ノワレ著、三枝博音訳『道具と人類の発展史に対するその意義』(岩波文庫)』▽『吉田光邦著『機械』(1974・法政大学出版局)』▽『『技術の歴史』(『三枝博音著作集10』1973・中央公論社)』▽『C・シンガー他編、平田寛・八杉龍一訳・編『技術の歴史1』(1978・筑摩書房)』