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空海 くうかい

12件 の用語解説(空海の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

空海

平安前期の真言宗の僧。讃岐生。弘法大師と称する。高野山金剛峯寺を建立する。仏教に関する著多数。また大師流書道を創始する。承和2年(835)寂、62才。

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デジタル大辞泉の解説

くうかい【空海】

[774~835]平安初期の僧。真言宗の開祖。讚岐(さぬき)の人。俗姓、佐伯氏。諡号(しごう)、弘法大師。延暦23年(804)入唐、翌々年帰朝。高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)を建立し、東寺(教王護国寺)を真言道場とした。また、京都に綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開いた。詩文にもすぐれ、書は三筆の一。著「三教指帰(さんごうしいき)」「十住心論」「文鏡秘府論」「篆隷(てんれい)万象名義」「性霊集」など。遍照金剛

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百科事典マイペディアの解説

空海【くうかい】

平安時代の僧。弘法大師。灌頂名遍照金剛。真言宗の開祖。最澄と並ぶ平安仏教の確立者。讃岐(さぬき)の人。俗姓佐伯氏。15歳で母方の伯父阿刀大足(あとのおおたる)について京都へ遊学。(774-835)

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朝日日本歴史人物事典の解説

空海

没年:承和2.3.21(835.4.22)
生年:宝亀5(774)
平安前期,真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡の郡司,佐伯氏の出身。母方は阿刀氏。15歳で上京して母方の叔父,阿刀大足に師事し,18歳で高級官僚養成のための大学に入るが,まもなく退学して仏教的な山林修行をはじめる。24歳の処女作『三教指帰』(797)の序に,ある出家から虚空蔵求聞持法を教示され,四国の大滝岳や室戸崎などでの修行によって効験を得た,とある。これを転機として,空海の人生コースは官僚の道から僧侶の道に切りかえられた。そして31歳,第2の転機にめぐりあう。先進文明国,唐への留学である。2年間の留学から帰国した大同1(806)年を境として,空海は無名の人から最高度に著名な人物に変身をとげ,真言宗の開祖への道を歩みはじめる。帰国直後からすでに高名な最澄との交友がはじまり,最澄は密教修学のため空海に師の礼をとるが,10年後の弘仁7(816)年に,ふたりの交友関係は決裂に終わる。注目されるのは,この年に空海の申し出によって高野山が下賜されたこと,またこのあたりから旺盛な著作活動が開始されたことである。 著作の皮切りとしては『顕密二教論』(816頃)があり,晩年の主著として『十住心論』(830)がある。『十住心論』は,宗教意識の発展段階もしくは人間精神の安住の水準を10段階に分け,東アジアの主要な倫理的・宗教的思想を各段階に配当して,仏教を他の思想の上位に位置づけ,仏教のなかでは真言密教を最上位に位置づけている。こうした晩年の構想がすでに処女作『三教指帰』に萌芽として示されている点に注目したい。『三教指帰』は,儒教,道教,仏教の3教をそれぞれ代表する亀毛先生,虚亡隠士,仮名乞児が次々に登場して,ならずものの蛭牙公子に教え説くという筋立てで,読者を蛭牙公子の最低水準から,亀毛先生,虚亡隠士の中間水準を経て,仮名乞児の最高水準にまで導く形になっているのだが,『十住心論』は,蛭牙公子の水準を第1住心,亀毛先生(儒)の水準を第2住心,虚亡隠士(道)の水準を第3住心とし,仮名乞児(仏)の水準を第4住心から第10住心までの7つに細分化している。7つのうち,第4(声聞)と第5(縁覚)は小乗仏教,第6から第10まで(法相・三論・天台・華厳・真言)は大乗仏教,第10の真言だけが密教で,ほかの6つは顕教とされている。 『三教指帰』では,仏教が人間精神の到達しうる最高の水準とされたが,『十住心論』では,仏教のうちの密教のみが最高とされた。両著作は,このような構造的対応関係を示しているばかりでなく,その根底に迷悟不二の思想を共有している。こうした事実は,空海の晩年に到達しえた体系的構想が,たんなる借りものではなく,青年時代から長い年月をかけて育てあげられた独創的な思想であることの証であるといえよう。<著作>『弘法大師空海全集』全8巻<参考文献>上山春平『空海』

(上山春平)

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説

くうかい【空海】

高知の芋焼酎。室戸産の原料芋を室戸海洋深層水を用いて仕込む。原料は金時、米麹。アルコール度数25%、37%。蔵元の「菊水酒造」は弘化元年(1844)創業。清酒「菊水」の醸造元。所在地は安芸市本町。

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デジタル大辞泉プラスの解説

空海

1984年公開の日本映画。監督:佐藤純彌、特撮監督:矢島信男、脚本:早坂暁。出演:北大路欣也、加藤剛、小川真由美、西村晃、丹波哲郎森繁久彌ほか。

空海

株式会社ピァーサーティーが展開する焼肉店のチェーン

空海

香川県、香川ブルワリーが製造する地ビール。ヴァイツェンタイプ。

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世界大百科事典 第2版の解説

くうかい【空海】

774‐835(宝亀5‐承和2)
弘法大師,俗に〈お大師さん〉と略称する。平安時代初期の僧で日本真言密教の大成者。真言宗の開祖。讃岐国(香川県)多度郡弘田郷に生まれた。生誕の月日は不明であるが,後に不空三蔵(705‐774)の生れかわりとする信仰から,不空の忌日である6月15日生誕説が生じた。父は佐伯氏,母は阿刀(あと)氏。弟に真雅,甥に智泉,真然,智証大師円珍,また一族に実恵,道雄ら,平安時代初期の宗教界を代表する人物が輩出した。

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大辞林 第三版の解説

くうかい【空海】

774~835) 平安初期の僧。日本の真言宗の開祖。諡号しごう,弘法大師。讃岐の人。804年最澄さいちようらとともに入唐し,長安の青竜寺恵果けいかに学ぶ。806年帰朝して高野山金剛峰寺こんごうぶじを開く。嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を賜り,その翌年には大僧都に任ぜられた。日本最初の庶民学校である綜芸種智院しゆげいしゆちいんを設立。書にすぐれ三筆の一人にあげられ,「風信帖」などの名品がある。また,詩文にも秀でた。後世,広く庶民信仰の対象として尊ばれた。著「三教指帰さんごうしいき」「十住心論」「弁顕密二教論」「性霊しようりよう集」「文鏡秘府論」「篆隷てんれい万象名義」ほか。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

空海
くうかい

[生]宝亀5(774).6.15. 讃岐
[没]承和2(835).3.21. 高野山
真言宗の創設者。弘法大師といわれる。姓は佐伯氏,幼名は真魚 (まお) 。 15歳で上洛。 18歳のとき大学寮に入り官吏としての学問を修めたが,仏教に転じて,儒教,道教を離れた。仏教に転じたその思索の過程を記して『聾瞽指帰』 (のち『三教指帰』と称される) を著わした (797) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

空海
くうかい
(774―835)

平安初期の僧。真言宗の開祖。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(しごう)で知られる。[宮坂宥勝]

生涯

宝亀(ほうき)5年、讃岐(さぬき)国多度郡(たどのこおり)屏風ヶ浦(びょうぶがうら)(香川県善通寺市善通寺)で、佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)と阿刀(あと)氏出身の母(伝説では玉寄姫(たまよりひめ))の三男として生まれた。幼名は真魚(まお)。幼少のころ、神童(しんどう)、貴物(とうともの)などとよばれたという。母方の叔父(舅(きゅう))阿刀大足(あとのおおたり)に就いて漢籍を学んだ。15歳で京に上り、18歳で大学に入って、味酒浄成(うまざけのきよなり)に『毛詩』『尚書』を、岡田牛養(おかだのうしかい)に『春秋左氏伝』などを学んだ。あるとき1人の修行者に出会い、求聞持法(ぐもんじほう)を授かった。そこで、阿波(あわ)(徳島県)の大滝岳、土佐(高知県)の室戸(むろと)岬、伊予(愛媛県)の石鎚(いしづち)山、大和(やまと)(奈良県)の金峰山(きんぶせん)などの聖地を巡り歩いて修行に励んだ。こうして出家の決意を固め、24歳のとき『三教指帰(さんごうしいき)』(別本または草稿本は高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)蔵の『聾瞽指帰(ろうこしいき)』。国宝)を著した。それは思想劇の形をとり、儒教・道教・仏教の優劣を論じ、大乗仏教をもっとも優れた教えであるとする一種の比較思想論である。以後、約7年間の行跡はまったく不明であるが、奈良六宗のほかに、すでに密教も学んでいたと思われる。また高野山を発見したのも弱年のころであったとみられる。
 804年(延暦23)31歳のとき、遣唐大使藤原葛野麻呂(かどのまろ)の船に橘逸勢(たちばなのはやなり)らと同乗し、途中、暴風雨にあい九死に一生を得て入唐(にっとう)。この年12月に長安に入った。翌805年、長安醴泉寺(れいせんじ)の般若三蔵(はんにゃさんぞう)らに就いてサンスクリット(梵語(ぼんご))やインドの学問を学習し、同年6月から半年間、青龍寺の恵果(けいか)から密教の伝授を受けて、真言密教の第八祖を継いだ。同年12月15日、恵果が60歳で没したとき、門下から選ばれて追悼の碑文を書いた。長安滞在中は、唐の仏者たちのみならず多くの文人墨客と交流し、広く文化を摂取した。806年(大同1)10月に帰国、膨大な密教の典籍、仏像、法典、曼荼羅(まんだら)、その他の文物をわが国にもたらし、12月に『請来(しょうらい)目録』を朝廷に差し出した。809年に京都高雄山寺(たかおさんじ)(神護寺)に入り、翌年、国家を鎮める修法を行った。812年(弘仁3)には比叡山(ひえいざん)の最澄(さいちょう)や弟子に灌頂(かんじょう)(水を頭に注いで仏位につかせる儀式)を授けた。816年6月、43歳のとき、高野山を国家のために、また修行者の道場とするために開きたいと嵯峨(さが)天皇に上奏し、7月8日に勅許を得、819年5月から伽藍(がらん)の建立に着手した。このようにして高野山は、天台宗の比叡山とともに平安初期の山岳仏教の拠点となる。一方、821年9月には四国讃岐の満濃池(まんのうのいけ)(香川県まんのう町)を修築し、農民のために尽力している。また823年1月、京都の東寺(教王護国寺)を給預されたので、ここを京都における真言密教の根本道場に定め、後進の育成に努めた。828年(天長5)12月東寺の東隣にわが国最初の庶民教育の学校として綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設した。835年(承和2)1月、宮中真言院で後七日御修法(ごしちにちみしゅほう)を行い、同年3月21日に高野山で入滅した。齢62歳。921年(延喜21)醍醐(だいご)天皇から弘法大師の諡号が贈られた。[宮坂宥勝]

業績・著書

空海は在唐中にインド直伝の密教を学び、帰国後、それらの組織化、総合化に努め、『大日経(だいにちきょう)』系と『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』系の密教を両部としてまとめることに成功した。また、一宗の開祖にとどまらず、中唐後期の大陸の文化を幅広く移入し、平安初期のわが国の文化全般に寄与したことは計り知れないものがある。
 著書には、一般仏教(顕教(けんぎょう))と密教とを対比し密教の特色を明らかにした『弁顕密(べんけんみつ)二教論』や、人間精神の発達段階と世界思想史とを組み合わせた『秘密曼荼羅十住心論(まんだらじゅうじゅうしんろん)』(『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』)と『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』、また『即身成仏義(そくしんじょうぶつぎ)』『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』『吽字義(うんじぎ)』の三部書、さらに『般若心経(はんにゃしんぎょう)』の注解書である『般若心経秘鍵(ひけん)』その他がある。文学的業績では、『三教指帰』をはじめ、わが国最初の辞典『篆隷(てんれい)万象名義』(1114年書写、高山寺蔵、国宝)の編集や、文芸評論と作文概論を兼ねた『文鏡秘府論(ぶんきょうひふろん)』『文筆眼心抄』などの著がある。また、空海の詩文を拾集したものに弟子の真済(しんぜい)編『遍照発揮性霊集(へんじょうほっきしょうりょうしゅう)』(『性霊集』)があるほか、書簡類を集成した『高野雑筆集』がある。このほか、密教芸術の指導、医学、科学に至るまで、その活動はすこぶる多方面にわたっている。
 なお、空海の伝記には、真済の『空海僧都(そうず)伝』、藤原良房(よしふさ)の『大僧都空海伝』などがある。『今昔(こんじゃく)物語』には高野山開創など四つの説話を収める。大師にまつわる伝説は各地にあり、全国でその数3000~4000といわれる。[宮坂宥勝]

空海の書

空海は同時代の嵯峨(さが)天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と並んで三筆の一人として名高い。その書は、奈良朝以来の伝統的な王羲之(おうぎし)書法を根幹としている。これに、入唐(にっとう)当時流行した顔真卿(がんしんけい)、徐浩(じょこう)ら唐代中期の能書の感化を受け、独自の書風を完成した。ふところを広くとる造字法、重厚な筆遣いは、スケールの大きい、表現力豊かなものである。空海以前にはみられない書風で、日本書道史に一つの転機をもたらし、後世の書壇にも大きな影響を与えた。近世初期には、その書流は松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)らによって、大師流の名で盛んに行われたことは注目される。今日まで伝えられる空海の書として、入唐前24歳で書いた『聾瞽指帰(ろうごしいき)』があり、すでに非凡な才能を十分発揮している。さらに在唐中に記録をとった『三十帖冊子(さんじゅうじょうさっし)』(京都・仁和寺(にんなじ)、国宝)、812年(弘仁3)から翌年にかけて灌頂(かんじょう)を授けたときの記録『灌頂歴名(かんじょうれきめい)』(京都・神護寺、国宝)はいずれも卒意の書(心のおもむくまま自由に書いた書、普段着の書)で、盛唐の書の影響がみられる。もっとも著名な『風信帖』(京都・東寺、国宝)は伝教大師最澄(さいちょう)にあてた書状3通を1巻に調巻したもので、空海の最高傑作といえよう。また、『真言七祖像賛並行状文』(東寺)は飛白(ひはく)(刷毛(はけ)で書いたようなかすれ書きの書)体の珍しいもので、各書体に堪能(たんのう)であった空海を物語る遺墨である。このほかにも多くの遺墨があり、いずれも名筆として尊重される。[島谷弘幸]
『『弘法大師全集』全8巻(1964・密教文化研究所) ▽『弘法大師空海全集』全8巻(1984~85・筑摩書房) ▽渡辺照宏・宮坂宥勝著『沙門空海』(1967・筑摩書房) ▽中田勇次郎編『書道芸術12 空海』(1975・中央公論社) ▽斎藤昭俊編著『弘法大師伝説集』全3巻(1976・国書刊行会) ▽北條賢三著『空海と伝説』、宮崎忍勝著『大師信仰の秘密』(松長有慶監修『弘法大師空海』所収・1984・毎日新聞社) ▽宮崎忍勝著『四国遍路』(1985・朱鷺書房) ▽金岡秀友編『空海辞典』新装版(1999・東京堂出版) ▽岸田知子著『空海と中国文化』(2003・大修館書店) ▽阿部龍樹著『空海の般若心経』(2004・春秋社) ▽加藤豊仭著『空海筆「風信帖」の形を読む』(2004・世界書院) ▽頼富本宏著『空海と密教――「情報」と「癒し」の扉をひらく』(PHP新書)』

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世界大百科事典内の空海の言及

【小野岑守】より

…嵯峨朝の宮廷詩人であるが,〈東国征戍辺愁〉の吟や坂上田村麻呂をいたんだ作に力強い佳作がある。空海と相許した詩友で,〈白雲の人,天辺の吏,何れの日か念(おも)うことなからん〉という詩(《性霊集》一)を贈られ,自分も帰休間遊の際に,〈言を寄す陵藪の客,大隠は朝市に隠るるものを〉(《経国集》十)と詠んで贈った。延暦以来の23人の詩を集め《凌雲集(りよううんしゆう)》を撰して序を書き(814),儀典行事の新式を定め《内裏式》を撰して序を作った(821)。…

【灌頂】より

… 灌頂は日本では最澄が805年(延暦24)に高雄山寺で行ったのが最初とされる。その後,正統な密教を伝え,最澄に遅れて帰国した空海は,812年(弘仁3)に同じ高雄山寺で灌頂を行ったが(11月に金剛界,次いで12月には胎蔵界),それには最澄も含め166名が参加し,受法したと伝えられる。後には,平城(へいぜい)天皇や嵯峨(さが)天皇なども空海から灌頂を受けている。…

【漢文】より

…この《玉篇》は,当該の漢字の字義を知ることができるとともに,その漢字が用いられた用例と出典をも知ることができるものであった。平安時代に入って,空海が詩論と作詩書の性格を兼ねた《文鏡秘府論》を著し,また《玉篇》の漢字辞典としての部分だけを抜きだした辞書《篆隷万象名義(てんれいばんしようめいぎ)》をも作った。こうしたものをもとに漢和辞典の先駆けとしての性格をもつ《新撰字鏡》が作られ,そののち《類聚名義抄》などの字書が作られた。…

【教相判釈】より

…これを改正増補して隋の天台宗の智顗(ちぎ)は,一華厳(阿含)時,二鹿苑時,三方等時,四般若時,五法華・涅槃時の五時にわたり,説法方法からして頓・漸・秘密・不定の四教と説法内容からして蔵・通・別・円の四教との八教が説かれたという五時八教の教判を完成させ,唐の華厳宗の智儼(602‐668)や法蔵は,一小乗教,二大乗始教,三終教,四頓教,五円教の五教と,我法俱有宗,法有我無宗,法無去来宗,現通仮実宗,俗妄真実宗,諸法但名宗,一切皆空宗,真徳不空宗,相想俱絶宗,円明俱徳宗の十宗の教判を完成させた。日本においても,空海の顕密二教を分かち十住心(《十住心論》)を立てる教判や,親鸞の頓教に難行易行の二道と竪超横超の二超を立てて漸教・小乗教に対比させる教判などが説かれた。【荒牧 典俊】。…

【恵果】より

…中国,唐代の真言僧。大広智不空に,金剛界法をうけ,弘法大師空海に伝える。真言宗第7祖とよばれる。…

【弘法大師絵伝】より

…真言宗の開祖である弘法大師空海の伝記絵巻。誕生から入唐,入定まで,あるいは死後の栄誉をも含め,奇瑞にみちた一代記を描く。…

【高野山】より

…周囲の山塊は紀ノ川支流の丹生川,貴志川と有田川,十津(とつ)川の源流となっている。9世紀に空海がこの地に真言宗金剛峯寺を創建し,以後比叡山延暦寺と並ぶ山岳仏教の中心地として現在に至っている。明治末までに和歌山線が開通し,大正末までに南海電鉄高野線が極楽橋まで,昭和初めに南海高野ケーブルが高野山まで開通して京阪神からの交通の便がよくなり,観光客も多数訪れる。…

【後七日御修法】より

…元日から7日までの節会の後の,7日間の修法から後七日といい,真言院御修法,後七日法ともいう。834年(承和1)空海が勅命により大内裏中務省において始行し,同年空海が上奏,唐の例にならって宮中に真言院が造立された。翌年から恒例として宮中御斎会と並んで行われるようになり,東寺一の長者が導師を勤めた。…

【金剛峯寺】より

…和歌山県伊都郡高野町高野山にある。816年(弘仁7)空海が修善の地として嵯峨天皇の勅許を得て開創した。金剛峯寺の名は《金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経》による。…

【三教指帰】より

…弘法大師空海の出家宣言の書。797年(延暦16)成立,ときに空海24歳。…

【三筆】より

…日本の書道史上の3人の能筆家。平安初期の嵯峨天皇空海橘逸勢(はやなり)の3人を指す。3人を特に三筆と称するようになったのがいつごろか明らかでないが,そう古くにはさかのぼらない。…

【四国八十八ヵ所】より

…四国の島内に散在する,弘法大師(空海)ゆかりの霊場88ヵ所を,順を追って参詣する巡礼コースで,四国八十八ヵ所弘法大師霊場とも称する。一般にはこれを〈遍路〉〈お四国〉などと呼んで,観音霊場の巡礼と区別している。…

【十住心論】より

…空海(弘法大師)の著。詳しくは《秘密曼荼羅十住心論》という。…

【綜芸種智院】より

…空海が設立した私立学校。従来の大学や国学が限られた身分の子弟を入学させ,かつ儒教中心の教育を行ったのに対し,はじめて庶民を対象とし,仏教および儒教を教授することを目的とした。…

【書】より

…書も唐風から和風への萌芽を見せ始めて,王羲之を主流とした伝統的書風の中に温雅な風韻を持ちつつあった。その頂点に三筆(嵯峨天皇,空海,橘逸勢(はやなり))が位置する。空海はその代表で,入唐以前の24歳のときの筆になる《聾瞽指帰(ろうこしいき)》は,王羲之そのままの筆法を踏襲しながらも,若さと日本的な柔和な筆触が表れており,さらに帰朝後の書状《風信帖》になると,唐風を脱した日本人としての自覚的書風を創り始めている。…

【声明】より

…720年(養老4)に,唐僧道栄の曲節に従って〈転経唱礼〉を統一させる詔勅が出され,752年(天平勝宝4)の東大寺大仏開眼供養会には数百名の僧侶が四箇法要(しかほうよう)(《唄》《散花》《梵音》《錫杖》)を勤めるなど,この時期に法会の形式がかなり整い,今日に伝わる奈良声明の原型が形成されたと思われる。 平安朝には空海と最澄が804年(延暦23)に入唐し,真言,天台両宗をそれぞれ伝え,声明の新たな発展期に入る。空海は梵語讃などを数多く請来し真言声明の祖とされるが,天台声明では838年(承和5)に入唐した円仁を事実上の祖とし,両声明はそれぞれ京都の東寺,延暦寺を中心として発展する。…

【請来目録】より

…あわせて230部460巻の経典と道具が記載され,このうち〈越州録〉は原本が伝えられ,巻尾には明州刺史鄭審則の証明がある。空海(804‐806年在唐)は青竜寺恵果らからの請来の経典類,曼荼羅,図像,祖師像,法具と恵果の付嘱物を挙げ,その由来や意義を述べる。東寺に伝えられるものは1341年(興国2∥暦応4)に叡山から寄進され,最澄が書写したものである。…

【性霊集】より

…〈せいれいしゅう〉ともいい,詳しくは《遍照発揮(へんじようほつき∥へんじようはつき)性霊集》という。空海(弘法大師)の詩文などを集めて10巻としたもの。編者は空海の弟子真済(しんぜい)で,のち8,9,10の3巻が散逸したため,1079年(承暦3)に済暹(さいせん)が補い,《続性霊集補闕鈔》3巻を編集して巻数を旧に復した。…

【神護寺】より

…和気真綱が824年(天長1)奏上して,父清麻呂が創建した河内の神願寺を,現寺地にあった和気氏の氏寺高雄寺(高雄山寺ともいう)と合併,神護国祚真言寺と改称して勅願寺となし,この寺名の上2字をとって神護寺と号したのが,当寺の起源である。高雄寺の時代,唐から帰朝した空海は807年(大同2)勅によって当寺に入り,以後ここを本拠に真言密教の興隆につとめた。有名な空海自筆の《灌頂歴名》(国宝)は,812年(弘仁3)空海が当寺で最澄,真綱,泰範,円澄ら190余人に両部灌頂を伝授したときの記録である。…

【真言】より

…これが三密(口密,身密,意密)瑜伽(ゆが)による即身成仏の実践である。空海(弘法大師)はこのような即身成仏によって仏の加持力を発揮し,衆生の諸願を満足させる目的で,密教による一宗派を開いた。このとき口に誦する真言の力を最も重んじたので,この宗派を真言宗と名付けた。…

【真言宗】より

…真言陀羅尼(だらに)宗ともいい,また天台系の密教を台密というのに対して東密(東寺の密教)とも呼ばれる。宗祖は空海(弘法大師)。奈良時代,すでに密教は日本へ伝えられていたが,きわめて断片的なものであった。…

【篆隷万象名義】より

…空海編の漢字字書。830年(天長7)以降,数年の間に成立か。…

【東寺】より

… 創建の時期は明らかではないが,794年(延暦13)の平安奠都とともに,西寺に対して羅城門の東に建てられたものと考えられる。823年(弘仁14)嵯峨天皇は空海にこの寺を与え,50人の僧を置いて真言研修の道場とした。これが真言宗としての東寺のはじまりである。…

【入定】より

…ところが日本では,これがいろいろ異なった意味に用いられるようになった。一つは修行者が山林修行をすることで,空海は山林修行する人を〈入定之賓〉といっている。一般に奈良・平安時代初期には禅定も山林修行を意味しており,山林修行者を禅師と呼んだ。…

【風信帖】より

…空海から最澄にあてた尺牘(せきとく)(書状)。3通をおさめている。…

【仏教】より

…ここに新しい平安仏教が出現する契機があった。桓武朝の末年,入唐求法(につとうぐほう)して持ち帰った最澄の天台宗,空海の真言宗がこれである。だが,南都仏教も平安仏教も,前者は〈鎮護国家〉,後者は〈護国仏教〉を標榜し,目的語句こそ異なったが,ともに古代国家の隆盛期に形成された仏教として,所詮は国家仏教の性格を共通してもっていた。…

【文鏡秘府論】より

…6巻。弘法大師空海の撰。820年(弘仁11)以前の成立。…

【文筆眼心抄】より

…1巻。弘法大師空海の撰。820年(弘仁11)成立。…

【満濃池】より

…《讃岐国万農池後碑文(さぬきのくにまんのうのいけじりひぶん)》(1020)によると,8世紀初めに讃岐守であった道守朝臣(みちもりのあそん)某によって築造されたとあるが,詳細は不明。818年(弘仁9)に堤が大破したため,821年に当国出身の空海を在地の郡司層らの要請をいれて派遣し,農民を動員して修築させた。その後も決壊,築堤が繰り返され,851年(仁寿1)には讃岐権守弘宗王が大規模な修築を行った。…

【御影供】より

…〈みえいく〉ともいう。真言宗の開祖弘法大師空海は835年(承和2)3月21日に入定(にゆうじよう)した。この入定の日に勤修する法会を御影供といい,毎年(旧暦)修される正御影供(しようみえく)と月ごとの月並(つきなみ)御影供がある。…

【密教】より

… 日本には,密教はすでに7世紀後半に断片的な形で伝えられていた。けれども初めて体系的なインド中期密教をもたらし,それを日本的に再構成したのは,天台宗の開祖伝教大師最澄と真言宗の開祖弘法大師空海であった。最澄と空海は,804年(延暦23)共に入唐し,最澄は,天台,戒,禅を主として学び,あわせて順暁から密教の付法を,大素らから雑密法を受け,一方空海は,恵果から両部の密教を皆伝された。…

【留学】より

…学問僧のなかには,733年(天平5)に入唐した栄叡(ようえい),普照(ふしよう)らのように鑑真の来日に尽力したものもあった。 平安時代になると,804年(延暦23)の遣唐使に最澄空海が随行し,彼らの学んできた天台や密教は,日本的な仏教が生まれてくる母体となった。このころから留学期間も一般に短くなり,最澄,空海も遣唐使とともに帰国している。…

【両界曼荼羅】より

…向かって右(東)が胎蔵界曼荼羅,左(西)が金剛界曼荼羅である。現存の両界曼荼羅のほとんどが空海請来系の現図曼荼羅であり,模写されて広く流布している。空海《請来目録》に,〈大毘盧遮那大悲胎蔵大曼荼羅一鋪(七幅,一丈六尺),金剛界九会曼荼羅一鋪(七幅,一丈六尺)〉とあるのが現図曼荼羅であり,この双幅の大曼荼羅は,空海の師の恵果(けいか)が供奉丹青(ぐぶたんせい)李真ら10余人の画工に描かせたといわれ,恵果より直接伝授されたものである。…

※「空海」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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