弘浦(読み)ひろうら

日本歴史地名大系 「弘浦」の解説

弘浦
ひろうら

[現在地名]東区弘

志賀しか島の西端に位置する。那珂なか志賀島しかのしま村の枝村で(続風土記)、明治初期には家のみからなり、土地は志賀島村勝馬かつま村に属した(地理全誌)。当村の女性はみな「かつぎ」(潜)をする海士人であり、海人あま浦ともいった(続風土記)。元禄五年(一六九二)の人数約五〇〇(田圃志)。同一〇年には志賀浦との浦境を定めた(松田文書)。文化九年(一八一二)の郡方覚に載る「浦大庄屋并庄屋名元」によると浦庄屋新平の給銭は二〇〇目。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む