志賀島村(読み)しかのしまむら

日本歴史地名大系 「志賀島村」の解説

志賀島村
しかのしまむら

[現在地名]東区志賀島・西戸崎(さいとざき)・西戸崎一―六丁目・大岳(おおたけ)一―四丁目・弘(ひろ)

古代は糟屋(かすや)郡(→志賀島)、近世は那珂(なか)郡に所属。博多湾と玄界灘の境にある志賀島の東部および同島につながる海の中道(うみのなかみち)に位置する。東は裏粕屋(うらかすや)郡奈多(なた)村。「続風土記」によると枝村に弘浦がある。小早川時代の指出前之帳では志賀島村の田三三町六反余(分米三五一石余)・畠五九町九反余(分大豆二一八石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高一千五八石余、うち大豆四四〇石余(慶長石高帳)。元禄五年(一六九二)には高六四六石余、人数約七三〇(田圃志)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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