日本歴史地名大系 「弥喜用村」の解説 弥喜用村やきようむら 千葉県:夷隅郡大多喜町弥喜用村[現在地名]大多喜町弥喜用百鉾(もふく)村の北、西畑(にしはた)川右岸に位置する。木更津への道が通る。西之畑(にしのはた)弥喜用村ともいわれた。枝郷に南畑(みなみはた)・川安戸(かわやすど)・湯倉(ゆぐら)・原内(はらうち)・馬場内(ばばうち)の五村があり、うち南畑・川安戸・湯倉の三村は元禄郷帳などでは独立して高付される。江戸時代の領主の変遷は枝郷とともに笛倉(ふえぐら)村に同じ。寛永一〇年(一六三三)の西之畠村々高割帳(君塚家文書)に村名がみえ、高九〇石余。元禄郷帳では高一六六石余、これは原内・馬場内両村分を含んでいる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by