当山哲夫(読み)トウヤマ テツオ

20世紀日本人名事典 「当山哲夫」の解説

当山 哲夫
トウヤマ テツオ

明治〜昭和期のジャーナリスト



生年
明治16(1883)年4月8日

没年
昭和46(1971)年5月29日

出生地
沖縄県

経歴
20歳で尋常高等小学校を卒業、熊本の第6師団歩兵第23連隊に入隊日露戦争従軍負傷。明治39年ハワイに渡り、甘しょ作りの労働に従事。以後漁夫、コック、活動写真助手などを経てホノルル新聞記者となった。45年月刊雑誌「実業之布哇」を創刊、第2次大戦後「市民」と改題、昭和45年まで出版活動を続けた。戦時中は抑留されたが、排日に抗し日系人の福祉に尽力。27年日系人の帰化市民権獲得運動を実らせ、米国帰化市民となった。著書に「波乱重畳八十年の回顧」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「当山哲夫」の解説

当山哲夫 とうやま-てつお

1883-1971 明治-昭和時代のハワイ移民,ジャーナリスト。
明治16年4月8日生まれ。39年ハワイへわたり,ホノルルで新聞記者となる。大正元年月刊誌「実業之布哇(ハワイ)」を創刊(第二次大戦後「市民」と改題)。日系人の帰化市民権獲得運動をすすめ,昭和27年に実現させた。昭和46年5月29日死去。88歳。沖縄県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例