形上村
かたがみむら
[現在地名]琴海町形上郷・大平郷
長浦村の北に位置し、村域は南北に深く形成される入江(形上湾)により大きく東西に分れる。西部には形上山・鶴山・飯盛山などがあり、四戸ノ川が東流する。北西部に仁田峠がある。東部は大江川流域の北東に遠見岳(一四五メートル)があり、南に続く尾戸半島にある大平・尾戸・小口などは形上村として扱われる場合があった。城ノ辻・城ノ平に石塁などを遺構とする中世の城館跡があり、舞岳城跡とよばれ、相川氏が用いたと伝える(大村郷村記)。
江戸時代は大村領の内海に属する。慶長高帳では蔵入地のほか、庶家一門の大村理右衛門や大村給人二人の知行となっている。慶長一〇年(一六〇五)の大村領内高目録に形上村とみえ、高一〇八石余で、田八町九反余・畠一町一反余、物成五九石余。同一七年の総検地では高一四六石余となるが(同一八年彼杵郡内検高目録)、朱印高は一〇八石余とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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