大平郷(読み)おおひらごう

日本歴史地名大系 「大平郷」の解説

大平郷
おおひらごう

現大平を遺称地とし、一帯に比定される中世の郷。延徳二年(一四九〇)九月三日に将軍足利義材が布施梅千代丸に安堵した当知行地のなかに「駿河国太平・得倉・日守参箇郷」とある(伺事記録)。当郷は伊豆との境にあり、さまざまな戦乱に見舞われ支配者も交替した。天文六年(一五三七)二月二一日、河東一乱(第一次)駿東郡に進出していた北条氏綱が、「大平之内星谷殿」に対し、北条軍の乱暴狼藉を禁ずる制札(星谷文書)を与えている。同九年三月二九日には北条氏康が、地内の曹洞宗桃源とうげん院に対し「徳倉・大平・日守三ケ郷百姓等」の狼藉などを禁ずる制札を与えている(「北条氏康禁制写」判物証文写)。同一七年八月一六日には、今川氏親母の北川殿菩提寺である得願とくがん(現静岡市徳願寺)に対し、「太平郷之内、善兵衛名弐拾壱貫文地」が、北川殿霊供分として安堵されている(「今川義元判物」徳願寺文書)


大平郷
おおだいらごう

狩野かの川西岸の現大平を遺称地とする郷。戦国時代以降にみえるが、「狩野庄之内於大平之郷」という表記があるので(永禄一〇年五月五日「彦山書下写」宮内文書)旧来は狩野庄に含まれる地であったとみられる。永正一六年(一五一九)四月二八日の伊勢長氏所領注文(箱根神社文書)宗瑞(伊勢長氏、北条早雲)から子息の菊寿丸(北条宗哲)に譲与された所領の一つとして一五〇貫文「いつの内大たいら但御しんさうさま御一こハわけふんたるへく候」とみえ、宗瑞から宗哲に譲与され、さらに宗哲の妻(御しんさうさま)の一期分所領とされていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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