待賢門院陵(読み)たいけんもんいんりよう

日本歴史地名大系 「待賢門院陵」の解説

待賢門院陵
たいけんもんいんりよう

[現在地名]右京区花園扇野町

五位(ごい)山の北東麓にある鳥羽天皇中宮花園西陵。待賢門院璋子は権大納言藤原公実の女、白河法皇の養女として育てられ永久五年(一一一七)入内、のち崇徳・後白河天皇を産んだ。天安(てんあん)寺を法金剛(ほうこんごう)院として再興させた後、康治元年(一一四二)落飾、久安元年(一一四五)三五歳で三条高倉(さんじようたかくら)邸に没した(百錬抄)。

その後、墓の正確な場所は不明となっていたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む