日本歴史地名大系 「法金剛院村」の解説 法金剛院村ほうこんごういんむら 京都市:右京区法金剛院村[現在地名]右京区花園(はなぞの)〈伊町(いまち)・内畑(うちはた)町・扇野(おうぎの)町・寺(てら)ノ内(うち)町〉双ヶ丘(ならびがおか)の東南麓で、東北は妙心(みようしん)寺域、南は安井(やすい)村と接する。平安京の条坊では、村内東部の現花園伊町が右京一条四坊一三町・一四町全域と、二条四坊一六町の西北部にあたり、現花園寺ノ内町の東辺を西京極大路(にしきようごくおおじ)が通っていた。大治元年(一一二六)この地にあった天安(てんあん)寺が、鳥羽天皇中宮待賢門院璋子の御願により法金剛院として再興。村はその寺域内であったと思われる。「京都府地誌」によれば、天正年中(一五七三―九二)に法金剛院村となったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by