後川部村(読み)うしろかわべむら

日本歴史地名大系 「後川部村」の解説

後川部村
うしろかわべむら

[現在地名]合志町さかえ

むれ村の北にあり、肥後国絵図(「国誌」補遺所載)によれば、隈府わいふ(現菊池市)へ至る往還沿いに立地する。中央を南北村上むらかみ(現上庄川)が流れ、細長い水田地帯をなしている。天正九年(一五八一)一二月二〇日の合志親為知行預ケ状写(合志文書)に「後河辺」とみえ、「一所五段 畠地 屋敷 一ケ所」を合志信濃守に預け置いている。元禄国絵図に「上庄村之内後川部村」、「国志草稿」に高三六二石余とある。竹迫手永に属した。享保一七年(一七三二)の畑名寄帳では、寛永年中(一六二四―四四)の見図帳に「不足仕候分」として三町九反五畝余、畝数所有者二二名、寛永一四年の見図帳前の分として一二町四反一畝余、合計一六町三反六畝余・高二三九石四斗余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む