隈府 (わいふ)
熊本県菊池市の中心地区。旧菊池郡隈府町。南北朝初期以来,背後に山城を擁した菊池氏の本拠として存続。室町期に肥後国守護大名となった同氏の城下町として体裁を整えたとみられる。その当時は〈隈部(くまべ)〉と呼ばれることが多かった。一国政治の中心を府と称することから,〈隈部の府〉の略称として〈隈府〉の語が生じたとみられる。《上井覚兼日記》に〈隈府之役人〉の用例がみられるが,むしろ江戸時代以降一般化した地名となる。菊池氏滅亡後の戦国末期には赤星・隈部氏の支配下にあり,江戸時代は年貢700余石の在町として存続した。御所小路,御蔵道,市恵比須,院の馬場,堀の内など古い地名を残し,朱子学者として名高い禅僧桂庵玄樹ゆかりの孔子堂(くじどう)跡や,将軍木を主客に見立てて行われる町内座中の松囃子能,菊池城跡(菊池神社)や正観寺,東福寺などに菊池氏ゆかりの古碑を残す。なお当地は徳冨蘆花《思出の記》の舞台ともなっている。
執筆者:阿蘇品 保夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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隈府【わいふ】
熊本県菊池市の地名。同市街北東部の城山(しろやま)台地上に肥後守護菊池氏の本城があり,城下町が形成されていた。城・地名とももとは〈隈部(くまべ)〉といったが,室町期ごろから守護在住の地として隈府(くまふ)と称されるようになったといわれる。さらに近世に入って肥後の中心が隈本(熊本)に移り,同地が隈府ともよばれるようになったため,当地〈隈府〉は区別のため〈わいふ〉と称されるようになったという。城は江戸時代に廃城となり,1870年城跡に菊池神社が祀られた。
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隈府
わいふ
熊本県北部、菊池市の中心地区。旧隈府町。南北朝時代に隈部(くまべ)とよばれていた所で、菊池氏の時代に改称された。文政(ぶんせい)年間(1818~1830)の『手永手鑑(てながてかがみ)』によれば、当時の隈府は1200~1300の人口を有する町で、経済的な中心性は存続していたと推察される。明治維新後は、菊池郡の政治、経済、文化の中心として、中枢管理機関の集積がみられた。
[山口守人]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の隈府の言及
【菊池[市]】より
…阿蘇外輪山の北西麓から菊鹿(山鹿)盆地の東部にまたがり,[菊池川]とその支流迫間(はざま)川が貫流する。中心の[隈府](わいふ)は中世に九州に威を張った肥後の豪族[菊池氏]の本城があった所で,一時は〈西の京都〉と呼ばれるほど栄えた。近代になって交通の幹線からはずれさびれたが,1954年菊池温泉(単純泉,43~48℃)を掘りあててから商店街も活気を帯びてきた。…
※「隈府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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