日本歴史地名大系 「得善保・下毛保」の解説 得善保・下毛保とくぜんほ・しもつみけほ 大分県:中津市得善保・下毛保現中津市南部の大貞(おおさだ)台地の緩やかな斜面を、台地上の溜池を利用して開墾したと思われ、現湯屋(ゆや)・相原(あいはら)付近に比定される。文暦元年(一二三四)三月一五日の宇佐いへつね田畠譲状(湯屋文書)に「とくせんのほう」とみえ、保内四郎丸(しろうまる)名の田畠居屋敷等を舎弟いへよしに譲っている。宝治元年(一二四七)七月一日の沙弥西阿譲状案(田口文書)に「温屋尻二段」「得善五郎居屋敷畠地」がみえるので、湯屋付近と思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報