日本歴史地名大系 「御子左邸跡」の解説 御子左邸跡みこひだりていあと 京都市:中京区教業学区大文字町御子左邸跡醍醐天皇の第一五皇子兼明親王の邸。「拾芥抄」に「三条ノ坊門南大宮東、兼明親王家、長家卿伝領之」とあり、同書の東京図は、三条坊門南二町と大宮東一町の間を示しており、現上一文字(かみいちもんじ)町、倉本(くらもと)町、大文字(だいもんじ)町、俵屋(たわらや)町南側、三坊猪熊(さんぼういのくま)町北組・南組 姉猪熊(あねいのくま)町西側、三坊大宮(さんぼうおおみや)町、姉大宮(あねおおみや)町東側の東の地にあたる。御子左邸は民部卿藤原長家に伝領され、「栄花物語」巻三四はその邸の様子を「御子左殿とて、大宮なる所をいと面白く造りてぞものせさせ給ける。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by