御子左家
みこひだりけ
御堂(みどう)関白藤原道長の六男の権大納言(ごんだいなごん)長家を祖とする家系の称。長家が醍醐(だいご)天皇の御子、左大臣兼明(かねあきら)親王邸を伝領したことによる。平安末期に六条家の清輔(きよすけ)・顕昭(けんしょう)に拮抗(きっこう)した俊成(しゅんぜい)以降、定家(ていか)・為家(ためいえ)と連続して勅撰(ちょくせん)集撰者となり歌壇の中心的指導者となったところから、歌道師範家としての「御子左家」の権威が確立した。為家の子孫は二条、京極(きょうごく)、冷泉(れいぜい)の三家に分立したが、嫡流の二条家が南北朝期の為定以降権威づけに「御子左」を名のったもので、俊成・定家の代にさかのぼって用いるのは近代に入ってからの便宜的呼称である。
[松野陽一]
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みこひだり‐け【御子左家】
平安末から鎌倉時代の歌道家。兼明親王の御子左第を伝領した藤原道長の六男長家を祖とし、長家の四世の孫
(そん)俊成およびその子定家と相継いで有力
歌人が出て
和歌の宗家として仰がれ、六条家と競い合った。俊成の幽玄の
歌風・歌論をついで、その子定家はさらに有心へと発展させたが、その子為家の子為氏・為教・為相に至り、それぞれ二条・京極・冷泉の三家に分かれた。また、蹴鞠の家としても知られる。
※不審条々(1403)「藤谷殿の御歌様を、御子左家の人々申候けるは」
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御子左家
みこひだりけ
藤原氏北家の嫡流道長の6子長家が祖。長家の曾孫俊成,俊成の子定家は歌人として名高く,和歌の家となった。定家の孫のとき二条家,京極家,冷泉家の3家が分出した。
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みこひだりけ【御子左家】
歌道・蹴鞠の家。藤原道長の第6子権大納言長家(ながいえ)(1005‐64)が醍醐(だいご)天皇の皇子兼明(かねあきら)親王の邸宅御子左第を伝領して御子左大納言と呼ばれ,以後その家系を御子左家といった。長家の曾孫に俊成(としなり)が出て六条家と対抗し,その子の定家があらわれるにおよび,歌の家としての立場を確立する。一族には寂蓮(じやくれん),俊成女,阿仏尼(あぶつに)など優れた歌人が多い。定家の後,その子の為家が継ぎ穏健正雅の風を立て,六条家を圧倒して歌壇の勢力を一手に握る。
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