大文字町
だいもんじちよう
[現在地名]小松市大文字町・本町一―五丁目・古河町・芦田町一―二丁目
東は竜助町、西は本鍛冶町・寺町に挟まれた南北通りで、大文字町と南方の桶屋町からなっていたが、桶屋町は明治初年に大文字町に編入された。長さ四町三五間・幅二間、「此外田圃アリ」と記され(皇国地誌)、この田圃が寺町西方にある大文字町地方をさす。町名の由来は天正年間(一五七三―九二)大文字屋という商人がおり、豊臣秀吉が止宿したことによるという説と、村上義明小松在城の頃、凧揚競技で当地の者が大吉と大書した凧で一位になったためとする説がある(能美郡誌・小松市史)。
大文字町
だいもんじちよう
南北に通る油小路通(旧油小路)を挟む両側町で、北を丸太町通(旧春日小路)、南を竹屋町通(旧大炊御門大路)が通る。
平安京の条坊では、町の東側が左京二条二坊四保一五町の西、西側が左京二条二坊四保一〇町の東。平安中期以降は、春日油小路の南にあたる。平安時代には、高陽院の敷地の一部にあたる(拾芥抄)。
鎌倉時代、大炊御門油小路に篝屋があった(太平記)。応永三二年(一四二五)一一月一〇日付酒屋交名(北野天満宮史料)には「大炊御門油少路北西頬 大輔良覚」、同三三年二月一六日には「春日油少路南東頬 宗存」の名がみえる。
大文字町
だいもんじちよう
南北に通る御幸町通を挟む両側町。北は現御池通、南は姉小路通(旧姉小路)に面する。
平安京の条坊では左京三条四坊三保一四町の東側の地。平安中期以降は三条坊門東京極大路南西にあたる。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「大文字町」とあり、筆描図系では以降変化はない。木版図系絵図では寛永一八年以前平安城町並図や承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図では「大文の町」とあるが、寛文五年(一六六五)「京雀」は「大もんじ町」とし、以降変化はない。
大文字町
だいもんじちよう
南北に通る黒門通を挟む両側町。北側を御池通(旧三条坊門小路)が通る。
平安京の条坊では、左京三条二坊二保三町の地にあたる。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「大文字町」とあり、寛永一八年以前平安城町並図に「あまかさき丁」とある。
大文字町
だいもんじちよう
河原町通を挟む両側町。
町名は、寛永版平安城東西南北町並之図に「大文丁」とあり、元禄九年(一六九六)京大絵図には「いせや丁」とある。正徳五年(一七一五)刊「都すゞめ案内者」に「大もん町」とあり、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」では「大文字町 北組南組二町に分」れる。
大文字町
だいもんじちよう
東西に通る元誓願寺通を挟む両側町。東側を南北に六軒町通が通る。
寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「大文字丁」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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