御影陣屋跡(読み)みかげじんやあと

日本歴史地名大系 「御影陣屋跡」の解説

御影陣屋跡
みかげじんやあと

[現在地名]小諸市御影

佐久郡における幕府領支配のための陣屋は、天和二年(一六八二)平賀ひらか(現佐久市平賀)に置かれて後、岩村田いわむらだ(現佐久市岩村田)を経て元禄一二年(一六九九)御影新田みかげしんでん村に置かれたが、同一六年以降前山まえやま(現佐久市前山)高野たかの(現南佐久郡佐久町高野町)臼田うすだ(現南佐久郡臼田町臼田)坂木さかき(現埴科郡坂城町坂城)と変転して、寛延二年(一七四九)中之条なかのじよう陣屋(現埴科郡坂城町中之条)の出張陣屋として再び御影新田に置かれ明治維新に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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