御用屋敷(読み)ごようやしき

日本歴史地名大系 「御用屋敷」の解説

御用屋敷
ごようやしき

[現在地名]富山市磯部町いそべちよう一―四丁目・鹿島町かしまちよう一―二丁目・安野屋町やすのやちよう一―三丁目など

富山城下の西はずれ、神通川および磯部村・安野屋村に接した一帯をいい、町地とは別立ての富山藩の用地とされた。一角には元禄(一六八八―一七〇四)の頃二代藩主前田正甫が一大庭園を築き、富士山・琵琶湖等を模した築山築池を配し、磯部御庭と称した。築山の磯部富士は人口に膾炙し、正徳四年(一七一四)加賀藩士今枝直方の越年使役日記(加越能文庫)にも「磯辺ノ不二ノ写山ハ今ニ残テ見ユ」と記され、文政四年(一八二一)京都の国学者富士谷御杖の越中来訪歌文中にも言及されている(富士谷御杖大人歌文)。磯部富士は荒廃しながらも近代まで残存し、明治年代の富山市地図にも富士山形で描かれていたが、昭和三二年(一九五七)撤去された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報