御給村(読み)ごきゆうむら

日本歴史地名大系 「御給村」の解説

御給村
ごきゆうむら

[現在地名]大野市御給

真名まな川の左岸友兼ともかね村の南東にあり、南は東山ひがしやま村。永正元年(一五〇四)一二月二五日の宝慶寺寺領目録(宝慶寺文書)に「教密嶋小山庄内五給」「不動王名小山庄五給」などとみえる。また永禄一二年(一五六九)六月一六日の同寺領目録(同文書)には「御給村」として計二二石五斗と五〇〇文が記録される。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図には「御給」高六一五・八三四石とあり、この高が廃藩まで続いた。


御給村
ごきゆうむら

[現在地名]浜松市御給町

ほう川左岸に位置し、東は富屋敷とみやしき村、南は西島にしじま村、北は江川えがわ村。松平忠頼領郷村帳に五久村とみえ高一三三石余、田六町九反余・畑七町一反余、うち川成二一石余。元和三年(一六一七)の水野重仲知行目録に村名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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