日本歴史地名大系 「浜松市」の解説 浜松市はままつし 面積:二五六・七四平方キロ(境界未定)県西部、遠州灘に面する。東は天竜川を挟み磐田郡竜洋(りゆうよう)町・豊田(とよだ)町、磐田市、北は浜北市、引佐(いなさ)郡引佐町・細江(ほそえ)町、西は浜名郡雄踏(ゆうとう)町・舞阪(まいさか)町に接するほか、浜名湖に面する。市域西部から北部には洪積台地の三方原台地が広がる。南部は遠州灘に臨む海岸平野で、東部には天竜川が形成した沖積平野が広がり、馬込(まごめ)川などが流れる。南部を東西にJR東海道本線・東海道新幹線、国道一号・同一五〇号が通る。南北に天竜市と結ぶ遠州鉄道西鹿島(にしかじま)線が通り、道路は国道一五二号・同二五七号が走る。市域北端近くを東西に天竜浜名湖鉄道と国道三六二号が通る。北部を東西に横断する東名高速道路には浜松インターチェンジ・浜松西インターチェンジがある。「和名抄」高山寺本に敷智(ふち)郡浜津(はまつ)郷(東急本では浜松郷)がみえ、中世には浜松庄が成立した。市域の大部分は近世の遠江国敷智郡・長上(ながのかみ)郡に属し、一部が豊田(とよだ)郡および引佐郡に属した。〔原始〕市域には約三〇〇の遺跡が知られ、三方原台地の周辺と天竜川が形成した平野部に集中している。旧石器時代は遺跡・遺物ともにわずかである。縄文時代では北部に滝沢(たきさわ)洞穴遺跡、石斧製作地とみられる川山(かわやま)遺跡、環状集落跡として完掘された前平(まえひら)III遺跡などがある。また東部の欠下平(かけしたびら)遺跡、西部の黄金(こがね)遺跡、南部の蜆塚(しじみづか)遺跡などが古くから知られる。蜆塚遺跡は貝塚を伴い、東海地方を代表する集落跡として名高い。弥生時代では三方原台地南縁直下で梶子(かじこ)遺跡・伊場(いば)遺跡を核とする伊場遺跡群や角江(かくえ)遺跡、市域東部の平野部にある山(やま)の神(かみ)・天王中野(てんのうなかの)・三和町村前(さんわちようむらまえ)・宮竹野際(みやたけのぎわ)の各遺跡、三方原台地東縁で八三基の方形周溝墓が営まれた下滝(しもたき)遺跡群、北部では都田(みやこだ)川流域で椿野(つばきの)遺跡や向山(むかいやま)遺跡などが調査された。宮竹野際遺跡では小区画の水田跡が検出されている。また北部の前原(まえはら)遺跡では埋納された銅鐸が発掘され、木船(きぶね)遺跡と三方原で古くに銅鐸が、梶子・松東(まつひがし)両遺跡と浜松南方海岸で銅鐸の破片が出土した。市域に前期古墳はなく、恩塚山将軍塚(おんづかやましようぐんづか)古墳・千人塚(せんにんづか)古墳・入野(いりの)古墳などの大型円墳が最も古い。三方原台地の周辺部に営まれた古墳は約一〇〇群六〇〇基に及ぶ。このうち台地東縁に千人塚古墳を盟主として南北に展開する古墳群は三方原古墳群とよばれる。市域北東部の平野部に、ただ一基蛭子森(えびすもり)古墳が築かれているのが注目される。見徳(けんとく)三号墳・恩塚山A六号墳・火穴(ひあな)古墳・弘法穴(こうぼうあな)古墳の四基には横穴式石室が完存する。 浜松市はままつし 2005年7月1日:浜松市が浜北市・天竜市、周智郡春野町、磐田郡龍山村・佐久間町・水窪町、引佐郡引佐町・細江町・三ヶ日町、浜名郡雄踏町・舞阪町を編入⇒【春野町】静岡県:周智郡⇒【龍山村】静岡県:磐田郡⇒【佐久間町】静岡県:磐田郡⇒【水窪町】静岡県:磐田郡⇒【浜北市】静岡県⇒【天竜市】静岡県⇒【引佐町】静岡県:引佐郡⇒【細江町】静岡県:引佐郡⇒【三ヶ日町】静岡県:引佐郡⇒【浜松市】静岡県⇒【雄踏町】静岡県:浜名郡⇒【舞阪町】静岡県:浜名郡 浜松市はままつし 2007年4月1日:浜松市が政令指定都市となる⇒【浜松市】[変更地名]静岡県 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浜松市」の意味・わかりやすい解説 浜松〔市〕はままつ 静岡県西部,天竜川流域と浜名湖の北岸および東岸に広がり,遠州灘に臨む政令指定都市。赤石山脈の南端に位置し,北で長野県,西で愛知県に接する。1911年市制。1954年笠井町と和田村,長上村,中ノ町村,芳川村,飯田村,吉野村,三方原村の 7村,1955年都田村,神久呂村の 2村,1957年入野村,積志村の 2村,1960年湖東村,1961年篠原村,1965年庄内村,1991年可美村をそれぞれ編入。1996年中核市に移行。2005年浜北市,天竜市,舞阪町,雄踏町,細江町,引佐町,三ヶ日町,春野町,佐久間町,水窪町,龍山村の 11市町村を編入。2007年政令指定都市となり,中区,東区,西区,南区,北区,浜北区,天竜区の 7区を設置した。中心市街地の浜松は鎌倉時代には天竜川に近い宿場町,江戸時代には浜松藩の城下町および東海道の宿場町として発展。1889年東海道本線開通後は遠州織物の主産地となり,楽器などの近代工業も発達した。第2次世界大戦後は,特に自動車産業が発達,その関連工場が多い。農村部では畑作やミカン,チャ(茶)などの栽培が行なわれる一方,農地の宅地転用も目立つ。浜名湖沿岸ではウナギ,スッポンなどが養殖される。北部には天竜のスギ,ヒノキの美林地帯があり,林業が行なわれる。浜松駅高架化以後,駅前再開発が進み,駅前に高層タワーのアクトタワー(212m)が完成した。浜松城跡(1958天守閣再建)の周辺には国指定史跡の蜆塚遺跡(しじみづかいせき)がある。中田島砂丘,弁天島,舘山寺温泉などの景勝地があり,中田島砂丘での 5月の凧揚げは有名。方広寺の七尊菩薩堂,中村家住宅,宝林寺の仏殿および方丈,浜名惣社神明宮本殿などの国指定重要文化財があり,三岳城跡は国の史跡に指定。小堀遠州作の竜潭寺庭園は国指定の名勝。北浜の大カヤノキ,京丸のアカヤシオおよびシロヤシオ群生地は国指定天然記念物。「遠江のひよんどりとおくない」と西浦田楽は,ともに国の重要無形民俗文化財に指定されている。市域の一部は天竜奥三河国定公園,奥大井県立自然公園,浜名湖県立自然公園に属する。東海道新幹線,JR東海道本線,飯田線,遠州鉄道,天竜浜名湖鉄道が通じるほか,東名高速道路,国道1号線,42号線,150号線,152号線,257号線,362号線など道路網も整備されている。面積 1558.06km2(境界未定)。人口 79万718(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by