日本歴史地名大系 「御野山古墳」の解説 御野山古墳おのやまこふん 福井県:坂井郡丸岡町牛ヶ嶋村御野山古墳[現在地名]丸岡町牛ヶ島牛(うし)ヶ島(しま)東部の水田中にあった前方後円墳。古墳は現存しないが、墳形は地籍図によってかなり大きな規模であったことが知られる。当古墳から出土したと伝える舟形石棺から中期後半に比定され、また当古墳が最も近距離にある丸岡(まるおか)古墳群から二キロ余も離れた単独墳で、かつ平地に占地するなど越前地方でも特異な存在であるという。また「日本書紀」継体天皇即位前紀に天皇の母振媛が「余、高向(たかむこ)に帰寧(おやとぶら)ひがてらに高向は越前国の邑の名なり。天皇を奉養らむ」と述べる記事があるが、牛ヶ島はかつての高椋(たかぼこ)郷の内であり、高椋郷は古代の高向郷であるから、石棺の被葬者は振媛かとする説も出されている(「足羽山の古墳」福井県郷土誌懇談会・一九六〇年)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by