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徳川光友 とくがわ みつとも

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美術人名辞典の解説

徳川光友

江戸前期の大名。尾張名古屋藩徳川家二代当主。家康の孫、義直の長男。初名は光義、字は子龍。従二位権大納言に至る。武技を能くする一方、書画・管弦・茶道にも通じた。画は初め狩野探幽に学び、のち松花堂昭乗に師事する。書は諸流を学び、世に後西天皇近衛信尋と共に書の三跡と称せられる。元禄13年(1700)歿、76才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

徳川光友 とくがわ-みつとも

1625-1700 江戸時代前期の大名。
寛永2年7月29日生まれ。徳川義直(よしなお)の長男。慶安3年尾張(おわり)名古屋藩主徳川家2代となる。武技にすぐれ,書画もよくした。元禄(げんろく)13年10月16日死去。76歳。初名は光義(みつよし)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の徳川光友の言及

【尾張藩】より

…尾張国(愛知県)名古屋に藩庁を置く親藩の大藩。徳川三家の一つ。1600年(慶長5)関ヶ原の戦後,清須城主福島正則に代わり,徳川家康の四男松平忠吉が入封したが,07年無嗣断絶。あとへ家康の9子徳川義直が甲斐より移封,翌年将軍秀忠の尾張一国を領知すべき旨の判物を受けた。しかし当時義直は幼少で駿府の父のもとにあり,国政は傅(もり)役の平岩親吉がとった。10年名古屋築城により,清須から士民を移住させた。11年親吉死去を機に,成瀬正成・竹腰正信を軸とした統治機構の整備,渡辺守綱・石河光忠ら幕臣の付属など,家臣団の形成が活発化した。…

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