徳川光友(読み)とくがわ みつとも

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳川光友」の解説

徳川光友 とくがわ-みつとも

1625-1700 江戸時代前期の大名
寛永2年7月29日生まれ。徳川義直(よしなお)の長男。慶安3年尾張(おわり)名古屋藩主徳川家2代となる。武技にすぐれ,書画もよくした。元禄(げんろく)13年10月16日死去。76歳。初名は光義(みつよし)。

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367日誕生日大事典 「徳川光友」の解説

徳川光友 (とくがわみつとも)

生年月日:1625年7月29日
江戸時代前期;中期の大名
1700年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の徳川光友の言及

【尾張藩】より

…尾張国(愛知県)名古屋に藩庁を置く親藩の大藩。徳川三家の一つ。1600年(慶長5)関ヶ原の戦後,清須城主福島正則に代わり,徳川家康の四男松平忠吉が入封したが,07年無嗣断絶。あとへ家康の9子徳川義直が甲斐より移封,翌年将軍秀忠の尾張一国を領知すべき旨の判物を受けた。しかし当時義直は幼少で駿府の父のもとにあり,国政は傅(もり)役の平岩親吉がとった。10年名古屋築城により,清須から士民を移住させた。11年親吉死去を機に,成瀬正成・竹腰正信を軸とした統治機構の整備,渡辺守綱・石河光忠ら幕臣の付属など,家臣団の形成が活発化した。…

※「徳川光友」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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